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分裂を推し進める多数決主義。 [Argentina 2017]

またしても、だ! 


多数決という手段が社会の分断を推し進めている。。。。


事はイギリスのEU離脱が最初だった。。。過半数が反対しているにも関わらず、賛成派が51%を獲得してEU離脱を決めた。
普通の人々が投票に赴かず、急進派とでも言うべきか、変化を求める人々が積極的に選挙に赴いた結果が選挙結果を逆転させた。
そして薄氷の勝利、すなわち半数の反対票にも関わらず、多数決で決定されるというプロセスの危うさが露呈した。
その時、わたしはこう書いた。
"勝者と敗者の配分が半々であるならば、それは多数決決定されるべきではなく、議論と再投票をこそ求められているのだ"と。


そして次にコロンビア内戦のFARC停戦和解案の国民投票がまったく同じ構図となった。
大半の人々が和解停戦を歓迎していたにも関わらず、実際に投票に赴いたのは反対派の人々だった。
反対派が51%で勝利するというまさにイギリスでの投票と同じ構図が再現された。


さらに米国大統領選挙がこれに続いた。
選挙人投票では大差がついたが、実際の国民投票数では逆転の結果が出ていたという、過半数のせめぎ合いだった訳だ。
ここでも勝ったトランプ派こそ驚いたはずだ。クリントンの不人気はあったが、それでも大半の人々はトランプの勝利なんてあり得ないとタカを括っていた。
自分が好きでもないクリントンに投票しなくても、トランプが当選することはないだろうというその結果が地滑り的なトランプの勝利を呼び込んだのだ。


さらに、トルコでエルドアン大統領の憲法改正による権限強化が国民投票で可決された。
投票率は現時点で賛成51.37%、反対48.63%となっている。。。
エルドアンに対する国際社会の風当たりは強く、独裁政権の誕生かと伝えられているが、改正憲法の中身は首相制(象徴的大統領)から大統領制(米国大統領制に近いもの)への移管のようなもので、それだけでは直ちにエルドアン独裁とは言えない。エルドアンについてはここでは本論ではないが、主義主張の強いタイプではなく、場面場面で判断している節がある。それが故に議会政党政治を嫌ってより強い権限を求めたと言えそうだ。(決して彼の肩を持っている訳ではない。ただ西側メディアはイスラームに関してあまりに安易なレッテルを貼り過ぎるのを牽制しているだけだ。)


次はフランスだ。。。いよいよ明日にフランス大統領選が迫っている。4候補の接戦が伝えられているので(選挙前の報道がまったく当てにならないことは上の4つの例すべてで証明されつつあるが)、第一回投票で過半数を占める候補者はいないと思われる。けれどここで誰と誰が勝ち残るかで決選投票の様相はガラリと変わってくる。。。



さて、ともかくも上の事案はそれぞれを見てゆくと、もちろん色んな違いがある。けれどここでもっとも重要で、4つに共通することは過半数という多数決の有効性が問われるという点だ。
ここで言いたいのは、投票結果で勝利したのがいずれであったかの問題ではなく、51%:49%(53%:47%でも同じだ)という半数が反対している投票結果を多数決的原理で有効とするのが正しいのかどうかという問題だ。


多数決というのは文字通りなら、多数派が勝利することだ。
だが10000人の投票結果が、5001名vs4999名だった場合、それを多数派と呼べるのか、多数派と認め得るのかという問題だ。
民主主義=多数決原理ではない、と何度も書いてきたが、少なくとも(百歩譲って)民主主義政体が多数決原理を採用せざるを得ないとしても、それは民意を大切にする為であることは論を待たない。民主主義は民意を大切にするという大義名分で多数決原理を導入しているのだ。
だとすれば、反対の民意が半数もあるにも関わらず、僅差で決定するのは、やはりその大義名分からしても外れている。
半数の人々が反対しているものを意思決定してしまうのは、半数の民意を無視している。
だからそんなものは多数決の原理からして有効性を認めてはならないというのがわたしの考えだ。
これについては最初の例、イギリスのEU離脱決定当時に書いた。
http://antaios-latino.blog.so-net.ne.jp/2016-06-28
まったく同じ繰り返しにしかならないので省略するが、そういうことだ。



そして続く3例もまた同じシチュエーションにある。
フランスでの投票結果はまだ分からないけれど、第一回投票の結果次第では、決選投票で同じようなことが起こるかも知れない。
 実は不正が行われた為に真相は闇の中だけれど、先日のエクアドル大統領選挙も同じように僅差(半々)だった可能性がある。(※エクアドル大統領選挙は第1回投票で勝利するためには、最低40%以上の有効票と2位の候補者に10%の差をつけなければならない。或いは過半数の50%以上でも確定という条件づけがされているのだけれど、もちろん不正の前にはそんな効力はなし崩しに終わってしまった。)


改めて言うが、どちらの陣営が勝利したかという問題ではなく、問題は僅差の賛否半々という状況を多数決で有効とすることが正しいのかどうかという一点だ。


賛否が半々である状態で物事を多数決決定してしまうと、半数の反対派が取り残される訳で、分裂をしか齎さない。
だからすべての国々で、半々(僅差)という多数決結果は無効であるとあらかじめ決定されなければならない。

投票は過半数と共に(あるいはではなく、且つという条件)、投票比において10%以上の開きがあることを必須とするような条件設定が各国で批准されなければならない。
それに合致しなければ、投票は無効とされ、議論の期間をおいて、再度投票は繰り返されるばならない。


何度、再投票を繰り返すのかという点については当然、考えられなければならない現実があるだろう。
各国がそれぞれの国民の選択としてそこを検討し、決定するしかない。
けれど、原則としてはそういうことだ。


一度めの無効となった投票ののちは、改めて本気で議論が繰り広げられなければならない。
無関心だった層が関心を持てるような議論も必要だけれど、それ以上に一回目の投票結果を踏まえてのより現実的な問題点が提起されなければならない。


迫るフランス大統領選挙も第一回の投票結果次第では、決選投票で51対49という同じような形が繰り返されるかも知れないし、イラン大統領選挙、そして当然、日本国内における選挙・投票においても、いつ同じような状況が発生してもおかしくはない。


多数決に於いて、51対49は無効であるという提言が今すぐなされなければならない。



ちなみに、事の発端となった...というと語弊があるが、国民投票でのEU離脱支持を決定したイギリスでは、3月29日にEU離脱を正式に通告したばかりなのに3週間後には、メイ首相が"国民にEU離脱の信意を問う"と解散総選挙に打って出た。そうは言われても、正式通告後は、もはや取り消しもできず後戻りはできない訳で、巷では保守党が経済の好調を背景に圧勝するなどと言われているが、怪しいものだ。選ぶのは英国民だが、反論を封じ込めることができるのか?それとも改めて分裂を確認するだけに終わるのか??というのは実際フランスの投票結果に掛かっていると言っていい。
フランス大統領選でもしもルペンが勝ち、EU離脱が濃厚になれば、もはやEUそのものが消滅の危機に面してしまう。
だが一方で、英国保守党が議席をひとつでも減らしたら?と考えると、やはりわたしには難題を前に投げ出したがっているように見える。。。





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ネット検索情報が齎す知識の限界について考える。。。 [Argentina 2017]


 まずはパレスチナに関するひとつのニュースをご覧戴く。

どこまでどんな風に理解されるのか分からないけれど、それがひとつのポイントでもある。


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ガザ唯一の発電所が燃料切れ、200万人に電力危機迫る   CNN.co.jp 4/18


 パレスチナ自治区のガザで唯一の発電所が燃料を使い果たし、200万人の住民が1日4時間しか電気を使えない状況に陥っている。国連は、ガザが「居住不能」地区になりかねないとして危機感を示している。
 イスラム組織ハマスが支配するガザの発電当局は17日に記者会見し、パレスチナ自治政府が課す燃料税のために発電所の燃料を調達できなくなったと主張した。一方、パレスチナ自治政府はハマスに対して効率的な発電所の運用ができていないと反論している。
 ガザ発電当局は17日に開いた記者会見で、パレスチナ自治政府とハムダラ自治政府首相がガザの電力危機に火をつけようとしていると非難。自治政府が燃料費の2倍を超す税金を課しているため、発電所を稼働し続けることができないと訴えた。
 一方、パレスチナ自治政府高官は、発電所を効率的に運用できない責任はハマスにあると反論。先に発表した声明の中で、ハマスがガザを支配する以前は電力不足はなかったと指摘し、ハマスによる「ガザ地区運営能力のなさ」が露呈したと批判した。
 ガザでは今年1月、電力不足に対する抗議デモが拡大し、カタールとトルコが1日当たり6~12時間分の電力をまかなうための燃料を3カ月間、同発電所に供給することで合意していた。

 しかしその燃料も今月16日に底を尽き、ガザではイスラエルとエジプトから輸入する電力しか使えなくなる。輸入でまかなえる電力は需要の3分の1に満たない。
 ガザ衛生当局は17日、2日以内に問題を解決しなければ、1日当たり200~250人の手術を中止せざるを得なくなると訴えた。
 ガザ中部に住む住民(35)は、電力不足によって生活が一変したと語る。「冷蔵庫に入れなければならない食品は買わなくなった。毎日その日に調理する必要があるものを買う。私たちの生活は、夜間だろうと日中だろうと、電気がついた時から始まる」
 ガザでは電力不足が原因で失業者が急増し、飲料水の不足にも見舞われている。
 国連の中東和平プロセス担当人道調整官、ロバート・パイパー氏は地元紙の取材に対し、ガザの問題について「慢性的な問題が積み重なり、居住不能となる転換点に近付いている可能性がある」との見方を示した。
 ガザはイスラエルによって陸路と海路を封鎖され、物資や人の移動も制限されている。ガザの問題を生じさせている主な原因はそこにあり、このためにガザの経済運営は不可能になっているとパイパー氏は指摘した。エジプトとの国境も、まれに短時間開く以外は、ほとんど閉鎖された状態にある。

 

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  とても哀しく情けないニュースだ。。。

パレスチナの内紛についてだ。


 もともとパレスチナ自治政府が発足した当初から、パレスチナは地理的にはヨルダン川西岸とガザ地区に分裂がある。パレスチナ代表としてはそれぞれPLO=ファタハとハマスとの確執だ。地理的にも経済的にもあらゆる側面に於いて両者の間には隔たりがある。


 このニュースはPLO=ファタハとハマスの内紛でしかない。

 もちろん、わたしにもガザ発電当局というのが私企業なのか(そんなはずがないのだが)、ハマスの運営する第三セクター扱いなのか、それともハマス管理下にある独立行政機関が独立採算で運営を迫られているのか、その辺りがさっぱり分からないと告白しておく。
 その一点を除けば(いずれにせよ、そのうちのどれか、または似たような運営形態であることは間違いなさそうだけれど)、この内紛はこれまでもそしてこれから先もずっとパレスチナの運命に影を落とすことになるだろうというもうひとつのパレスチナの絶望を露呈している。
 そもそもガザ地区がイスラエルと海(イスラエルが制圧している)に包囲された孤島的存在であるのに対し、ヨルダン川西岸地区はイスラエル国境とヨルダン川によって孤立の状態であることに変わりはないとは言え、隣接する大陸続きの位置にある。それは経済的にも著しい差を生み出している。
 人口密度も経済構造も圧倒的に異なるし、イスラエルとの緊迫感もまったく異なる。イスラエル空爆による被害も圧力もまったく異なるふたつの地域の利害が一致することなど"パレスチナの大義"をおいて他にないし、その肝心の"パレスチナの大義"に対する温度差もそこに由来している。



そんな訳で...少し解説を試みる。


 どういう訳か独立運営されているらしきガザ発電所は、燃料費の2倍以上の重税により経営難に陥っていると主張し、自治政府(ファタハ=PLO)側はハマスの「ガザ地区運営能力のなさ」だと主張している。だがハマスによる「ガザ地区運営能力のなさ」とはいったいどういうことだ??
 ガザ発電所の利益からハマスが収益を組織へと回している所為で運営できないのだとすれば、自治政府側は寧ろ、そうハッキリと指摘すれば簡単だろうし、その時「ガザ地区運営能力のなさ」という言葉を使う必要はない。"ハマスによる発電所運営能力のなさ"と言えば済む。
 ...ということは考えられるのは、ガザ地区における電気代金の未収金管理であったり、盗電の管理能力のことだと思われる。だがガザのような経済的に貧しい地域ですべての人々から電気代金を徴収できるものではないし、難民キャンプなどでの盗電は寧ろ人道的対策として見逃されるべきだろう。だからファタハ=PLOの言い分はやはり正当性がないと思われる。せめて発電所への課税は撤廃すべきだし、ハマスが不当に収益を流用しているのでなければ、公共事業としてその稼働を支援すべき立場にあるはずだ。
 ヨルダン川西岸地区と違って、ガザ地区に産業と呼べるようなものはない。無論、ヨルダン川西岸地区だって、放牧や農業などが中心になっていてさして産業構造と呼べるほどのものはないだろうけれど、それでも商業活動の自由度と経済規模は違っている。難民キャンプの様相にしたって異なるし、2-3年に一度、イスラエルの空爆に住居を破壊し尽くされるガザ地区とは雲泥の差であって、ガザ地区が自活なんぞ決してできない状況にあることは周知の事実だからだ。
 自治政府によるガザ地区へのこういった圧力は、パレスチナ独立が1つの政治組織によって運営されることの不可能性を露呈している。この問題は解消される見込みはないと思った方が良さそうだ。2つの地域は分離した州のようなものとして運営されるしかないが、にも関わらずガザの経済状況はイスラエルの封鎖が完全に解かれない限り中央政府からの地方公布金によるしかないという惨めなものとなるしかない。地方自治を称しながらも中央の交付金に頼らざるを得ないという従属の関係性を断つことはできないからだ。ヨルダン川西岸地区から見れば、ガザ地区はただの重荷でしかなくなる。もちろん、イスラエル側がエジプトや海の封鎖を完全に解除すれば、立場は一気に逆転する。ガザ地区が貿易を含む商業地、観光地としての地位を回復する一方で、でヨルダン川西岸地区は隣国ヨルダンへの経済的従属を深めるしかなく、出稼ぎによる人口の減少すら起きかねない。そんなことは金輪際起こり得ないのだけれど、いずれにせよ、両地域の格差と隔たり、そして両者の間にある深い溝はパレスチナ独立への大きな問題として横たわり続けるしかない。。。



どこまでお分かり戴けただろうか??
...パレスチナ自治政府はアッバス議長率いるPLO=ファタハが指導権を握っている。そもそもはPLOアラファトだった訳だが。。。


少しばかり大雑把に振り返ってみよう...


もう16年以上前、9.11の際に書いたけれど、PLOアラファトはパレスチナ内部の人物ではない。
PLO(パレスチナ解放戦線)というのは、パレスチナ内部から起こった運動ではなく(当時パレスチナ内部ではそんなことは不可能な状況だったし、彼らは周辺アラブ国が自分たちを解放してくれると期待していた)、隣国エジプト、ヨルダンから起こった運動だった。
 大幅に端折って言えば、アラブ諸国がイスラエル軍に連敗に次ぐ連敗を喫するのを横目に、PLOのゲリラ活動は起こってきた訳だ。
そしてアラブ諸国のイスラエルとの休戦状態が長引き、あまつさえ大国エジプトがイスラエルを承認し、サウジアラビアが米国と手を結び、PLOが武装闘争からどんな成果も引き出せない膠着した状況に及んで、ようやくパレスチナ内部で民衆によるインティファーダ(石の礫の民衆蜂起)が起きたのだ。
外部から起こったファタハ=PLOのゲリラ活動は世界的に有名(悪名)となったが、アラファトが老いと共に、自身のパレスチナ国家初代大統領という立場への固執を隠さず、武力闘争放棄と引き換えに、中東和平の代表となり数次に渡る中東和平会談に参加するようになってから、いつの間にかPLOは国際社会からパレスチナの代表機関と見做されるようになった。それは先日もガンジーについて触れたように、武力闘争を放棄した組織の代表者を取り込むことがイスラエルにとってより優位な条件を導き出せると読まれたからだ。老いたアラファトは自身の余命のある間にどうしてもパレスチナ独立国家の初代大統領という肩書を喉から手が出るほどに欲しがったから西側からは譲歩を引き出しやすい相手と踏まれたと考えていい。
 そんなアラファトの軟弱な姿勢を横目にパレスチナ=ガザ内部でより過激なゲリラ運動として頭角を現したのが、ハマスだった。
 だがいよいよパレスチナ自治の開始がカウントダウンに入り、自治政府の枠組みの中でヨルダン川西岸とガザ地区の統治(統合支配)が求められた時、ファタハ=PLOは、より恵まれた境遇と言えなくもないヨルダン川西岸を基盤にパレスチナ自治政府の主流を獲得しようとした。
だが全パレスチナ人の大半は"パレスチナの大義"を裏切らないハマスを支持した。
 事実、パレスチナ自治政府の為の第一回選挙ではハマスが圧勝する。だがなんとファタハ=PLOは過激路線を捨てないハマスでは西側諸国の独立自治合意を得られないことから、ハマスを非合法化して自治政府から追放してしまう。
 もちろん、これは認められるべきことではなく、ここにハマスとファタハの武装闘争=内部分裂(内戦)が始まる。
だが内戦と言ってもそれぞれに支配地域が異なり、分断された地理的状況からそれはとても歪な形を取るしかなかった。
パレスチナ自治政府の統治機関としてガザ地区入りしたファタハのメンバーをハマスが襲撃するというような形だ。やがてガザ地区を自ら統治支配することを半ば諦めたファタハはガザ地区とヨルダン川西岸の分離統治をよしとし、ガザ地区内でのイスラエルに対するゲリラ活動の制御を枠づけすることでガザ地区のハマス自身による統治を認めることとなった。
 その後、ヨルダン川西岸地区ラマラでアラファトを議長府においてイスラエル軍が長期間包囲、軟禁するに及んで、初めてガザ地区でもアラファトが全パレスチナの代表としての信望を集めるに至った。。。だが直後、アラファトは病死する。。。
 アラファト亡き後、パレスチナ自治政府の大統領の座を簒奪したのが、ファタハのアッバス議長だ(選挙は行われたが公正なものとは言い難い)。そして現在の首相がハムダラだ。
 アラファトの手で、ようやくひとつになる機運を見せたかに思えたパレスチナだったが、その直後の死により、アッバスが大統領に就任、そして露骨にガザ差別、ガザ支配を画策するアッバスの下で、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の確執はより一層深まりを見せることとなっている。
 以上、大幅に端折って書けばということで、子細を書き始めたら2-3冊の分厚い書物になるしかない。それを数十行に無理やりまとめたので齟齬はあるとご理解頂きたい。

 



 ... こんな(わたしにとっては)分かり切ったことを改めて書くのは、もはやこういうことを知る人がほとんどいないと感じたからだ。
もはや多くの人々の頭の中ではパレスチナ人というのは、イスラーム過激派の温床かなんかで、仲間割れを常態としているイスラエル辺境の民族単位か何かだと勘違いされているのじゃないか、いやそれよりも単にイスラームというレッテルでそれ以上の何も知らないのかも知れないと感じたからだ。
 そもそもイスラエルがどうして誕生したかを知らないのではないのかという懸念すらある。
本当になにひとつ知りもしない若者たち(40才代ですら、だ)が、好き勝手なコメントを自己発信している。。。
 今の20才の若者たちは9.11テロの時には4-5才だった訳で、リアルタイムでは知りようがない。24-25才の若者たち(当時10才)ですら大事件の記憶はあっても、背景を理解するにはまったく足らなかったろうし、その後誰かがそれをきちんと説明してくれた訳でもないだろう。況してや冷戦構造なんて言われてもピンとくるのは40代ということになるだろう。(40才としても1991年に14才だった訳で、せめて40代後半くらいでないと無理か??)
そう考えればパレスチナの歴史など9.11テロ以降の事件の影に隠れて、正直いったい誰が知っていると言えるのだろうか?
学校教育では何も教えないだろうから(イスラエル建国についてとパレスチナ難民の発生、そして中東戦争について10行くらいか??だがどうせ近代史は試験範囲外だからほとんど授業で扱われることはない。斜め読みの時代だ。)問題はそこにある。
若者たちがリアルタイムで知らないことはもちろん彼らの罪ではない。けれどそれらが一切学校教育で教えられない所為で、彼らは必要な知識のないまま育つ。
現在起きつつある時事問題を理解する為の(自分たちが生きている時代を理解する為の)知識を教えない"歴史授業"などどんな意味がある??
近代史を軽視する歴史教育なんぞ日本だけだと思われる。
 ではいったい若者たちはどこからそういう知識、たとえば9.11だとか、冷戦だとか、パレスチナ紛争についての最低限度の知識を得るのだろう??
まずいったいどうして彼らは、どんなところから彼らはそんな興味をそそられるのだろう??
とっかかりは三面記事のテロや戦争記事だったりするかも知れないし、ハリウッドのヒーロー映画の題材であったりするかも知れない。
まあ、そんなもんだと考えるのが妥当だろう。。。


 さて、いったい若者たちはどこから必要な最低限度の知識を得るのだろう??
答えは明らかであるように思える。
ネットだ。。。ちょっと知らないこと、聞いたことくらいあるけれどよく分からないことを簡単に調べるのはネットだ。


 ネット上にはさまざまな情報がある。
けれどやはりそんな彼らの多くはより読みやすい情報に飛びつくはずだ。
或いは今、自分が理解したいテーマをまさに記事タイトルとして掲げたネット情報に、だろう。
 彼らが知りたいようなテーマをタイトル記事として掲げたネット情報は、歴史深く、その始まりから説明したようなものではなく、寧ろ彼らと同じ視点で話題の三面記事や映画の背景を説明しようとするページだったりする。読み手としてはドンピシャな情報だと思うだろう。


 それらが専門的学術的な立場からなる情報であることは少なさそうだ。。。
ネットは簡単にさまざまな知識を得ることができるとても便利なものだ。しかし情報は玉石混交。
残念なことに大半の情報は知ったかぶりの偏向を見せていることが多い。
そして実際、そういう記事の方が刺激的なタイトルがついていたり、捜し手にとって分かりやすかったりする。。。もちろんだ、複雑怪奇な時事問題を門切り型で簡潔にまとめればそうなる。分かりやすさと引き換えに真実から離れてゆくし、少なくとも現実の多様性、多面性は失われてゆく。


 もちろん、わたしたちの世代だって学校教育ではそういったことは何ひとつ教わらなかった。。。
同じように三面記事や映画というものが興味のきっかけだった。。。
けれど不幸にしてインターネットなどというものはなかったし、個人が情報を発信する方法は非常に限られていたから、大抵は書物によるしかなかった。
書物もお堅い時事問題に関しては、ルポルタージュを除けば、非常に専門的な小難しい文章の並ぶものしかなかった。
 "サルでも分かる..."なんてのは、ずっと後になって登場した分野だった。
専門書がすべての偏向から逃れられていたとは言わないが、少なくとも専門書を出版できる環境条件は限られていたから、少なくとも筆者は個人的見解を好き勝手に書き連ねるといったような風習とそれだけの自由はなかったと思っていい。出版機会は著者にとってとても重要で貴重なもので、それを安易に危険に曝したくはなかったはずだから、慎重な姿勢=中道な姿勢というのが寧ろ、主な弊害だったろう。。。(※左派、反左翼というものはあったが、著者略歴をみるまでもなく、それらは明確に著者の立ち位置として文中に表現されていたし、より小難しいものだった。笑)
何よりも専門書は高価で簡単には手が出なかった。。。
映画もまだまだ硬派な政治映画が多かったのも幸いしただろう。もちろん、映画は真実に近づくには入口以上のものではないのも事実だ。


 だが今や簡単に数秒で欲しい情報を見つけることができる。。。けれどそれはどんな真実をも保証しない。
だがそれが真実でないと知るには、真実かどうかを調べるには、相当な努力と検索、根気と猜疑心が必要になる。
正直なところ予備知識なしにそれを見破るのは難しい時代なのかも知れない。しかもコピーやまとめ的な情報が重複する所為で、量的なサブリミナル=量が真実性を保証するかのように錯覚される。なんと言っても多くの人が同じ趣旨の情報を配信しているならそれが正しいに決まっているとする見解だ。
ただ量産された情報は、ごく最近の話題に沿って解釈されたり、最近の話題を解説する為に記述されたものとそのコピーが大量に出回るだけの話であって、まったく真実性の担保とは無関係であり得る。


 真実を知るには遠い過去(20世紀からの近現代史)に遡らなければならないのに、ここ数年の動きを捉えたもので判断されるケースも多い。
そもそも読み手(情報の探し手)が100年分の情報を拒否するだろう。
昨日のテロ事件を理解するのに100年分の歴史を遡ろうなんていう奴はそうはいない。それが問題なのだ。
それらは以前より比較にならないほど容易になったし、発信も検索も無料で利用できる。
100年分でも、1000年分でも、無料で即座に探すことができる。。。だが真実はその膨大な量の情報に紛れてそこへ辿り着くのは一層困難になってしまった。誰でもが自分なりの時事問題についての解釈・解説を適当なソースからコピーしたものを利用して容易く、且つそれなりに発信することができる。


 この糞blogも、少なくとも多勢を占める情報に反する多様性や多面性を知る術には一役くらい買うだろうけれど、本当に真実に近づこうと思ったなら、やはり自分自身で、大量の専門書に当たってもらうしかない。しかもその一冊、一冊、一行一行の情報を鵜呑みにするのではなく、大量の書籍の中から真実を見つけ出す必要がある。同じ地域や国のいろんな分野からの専門書に当たる必要がある。外交史なら双方からの情報が必要となる。それには費用も時間も根気も掛かる。到底終わりのない作業でもある。数年~数十年に渡って興味と感心を寄せる必要がある。。。
 いったい誰がそんなことをする??
メディアの連中でさえそんなことは一切しない。寧ろ、連中こそが自分たちで情報を作り出しておいて、その情報を検索してその場限りインプットして終わりだ。そんなメディアの報道担当者を実際に見てきた。取材前に会社からコピー資料をもらうだけだ。それを読んで鵜呑みにして終わりだ。
そんな連中が報道に携わる。。。そして情報を発信する。なんてバカげた世界だろう。そんなものをどうして信用することができるだろう??


 だとしたら我々は40才以下の人々を安易に責めることはできないのか?
だがそれをすべて教育の所為、ネットの所為、メディアの所為にしても仕方ない。そんな言い訳なら我々の世代の人たちだって、いくらでも言い訳は可能だからだ。真実は数十年掛けてようやく学ばれるものだ。真実はそう簡単に近づけるものではないからだ。。。
 ISISやシリアがきっかけでもいい。そこから数十年に渡って興味と感心を寄せ続け、できる限り多くの専門書を読み漁って、次々とこれから先に起こって来るさまざまな事件・時事問題と突き合わせて、真実がどこにあるかを見極める必要がある。
 今、十代の子供は今後20年間、それを続けることが出来たなら、30代になって何某かの真実を堂々と主張することが出来るだろう。それをバカらしいと思うなら、彼は一生、他人の創り上げた真実らしきものに振り回されるハメに陥るしかない。だとしたら受け売りの主張なんぞせずに、大人しく口をつぐむのがいい。


 実際、10年後、20年後であろうとも、学校教育でISISやシリア内戦について学ぶことはない(現在の教育システムが根本から見直されない限り)。
いったいこれはどういう歴史教育だというのだろうか?20年経っても学校教育では第二次世界大戦までしか教えないとすれば...。
そんな歴史教育が現実に50年間以上に渡って続いてきたのだ。平安~鎌倉~室町...江戸時代の歴史なんぞ実際のところ雑学を越えるものではない。寧ろ、そんな歴史教育は中学3年間ですべての課程を終えて、そこでお終いにすべきだ。高校に入ってそんなものをやり直す必要性はまったくない。


 高校では大戦後の歴史について、双方の第一次資料などを参考にしながら歴史の真実を読み解く作業を学ぶべきだ。それは真実を探す授業となるだろうし、それぞれの立場にそれぞれの真実があるということを発見する授業になるだろう。
年代順にテーマを取り上げる必要はない。冷戦構造からパレスチナ問題、朝鮮戦争、ユーゴ解体やコンゴ内戦、或いは9.11からイラク空爆、EUユーロの成立でもいい。原子力開発に絞った歴史がテーマだっていいだろう。さまざまな根底に異なるテーマを持つ事象を取り上げて、同じように複数の真実を発見する課題となるべきなのだ。


 ネット情報の限界は利用者が作り出す。。。検索者が同時に発信者になり得ることが危うさを齎している。
量的なものに左右されて正当性を付与するかのように錯覚させてしまうことも危うさの根底にある。
特に日本語情報のネット社会に於ける狭さと孤立がそれらのリスクを増大させているのも事実だろう。
"ポスト真実"と呼ばれる偽ニュースよりもずっと、我々はそこに細心の注意を払って、ネットからの情報を利用する必要がある。
そして最大限にネット情報を利用しなければならないということだ。
少し奇妙な言い回しになるが、最大限に利用しないならネット情報は危うさを回避できないということだ。(最小限の利用は極度の危うさを招くとも言える。)だがネット情報を最大限に利用するには日本語という言語の独自性は自ずから限界を露呈する(内からも外からも)のも残念な真実だ。

 

 

 

 


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事実と向き合う。 [Argentina 2017]

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こういう社会だったのだ。。。
当時の社会と歴史を振り返るのに、今の薄っぺらい常識とやらを振り回して判断するのではなく、こういう社会であったことにきちんと向き合わなければ何も見えて来ない。。。
きっと基本的には人々の精神構造は当時と変わらないのだという気がしてくる。。。
"日本会議"、極右的ナショナリストたちの人権無視、国民主権無視などの主張を聞いていると、そして政府が丸ごとそこに抱え込まれているにも関わらず、国民の今の状況をみる限りでは、こういうものを多かれ少なかれ受け入れる下地が国民にはある、ということなのだとしか思えないのだ。
それが積極的ではないにしろ、仕方ないという諦めにしろ。。。

それは"支配されることの安易さ"なのか!?
内省の不足=欠如が外部理解へも向かっているということだろう。
自己を理解しない者は他者を理解しようがないという事実だ。
それでいて、いざとなったら自己犠牲を手っ取り早く"社会の美徳"として掲げることで、内省的態度を無用のものと片づけてしまうような、根本的に"個"の自由と独立心を欠いた社会なのだ。

政治家たちからすれば、支配層と臣民という構造概念でしかない。

自己犠牲の美徳を思い出させるだけでいい。それは人々の性根に奥深く刻まれたDNAの成せる業なのか? 

 
例えば、服従主義についてこういう徴兵制を利用しようという人々が大勢いる。
 https://matome.naver.jp/odai/2133061857505698401 
 
そして歴史の承認と歴史を認めようとしない人々との闘いは拒絶されている。。。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170418-00000005-cnippou-kr&pos=1

「命により婦女200人をバリに」…日本の「慰安婦強制動員」文書公開



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野党という安全弁。。。 [Argentina 2017]

きっと野党は国民の目くらましに使われているのだ。
ガス抜き安全弁=野党が代弁してくれているから...というやつだ。
 
 
 

日本国民が大人しく誰も文句を言わないから、政府が好き勝手ばかりする。
野党が何を言っても、国民が文句を言っているとは一切見做されないってこと。

そこを任せちゃいけない。

デモは20万人-30万人規模にならないと3万人-5万人なんてゼロと同じ、誰も文句なんぞ言っていないのと同じだという厳然たる事実。

70才まで働かされても、年金減らされても、共謀罪とやらで予防拘束されても、医療保険が削減されても、避難民の補助が打ち切られても、原発が次々と稼働しても、学校教育がどんどん右傾化しても、政府が土地の売買に関与しても、天下りが堂々と行われていることが判明しても、誰も何も文句を言わない。

きっと野党は国民の目くらましに使われているのだ。
ガス抜き安全弁=野党が代弁してくれているから...というやつだ。

真綿で首を絞められるように、どんどんと権利と自由を奪われて、最後の最後、ついに口を封じられ、身動きも出来なくなって初めて、それと気づいても本当に遅い。

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エクアドル大統領選挙の結末。。。  [Argentina 2017]

4月2日、エクアドル大統領選挙の決選投票が終了した。
前回書いた通り、一度めの投票では大規模な不正が行われたのは事実だろう。
そして当然のように、今回もまた...。

ただ今回は前回のように明らかな証拠が出るのを恐れて手段を変えたようだ。
(※前回は公務員や選挙管理、監視委員の中から裏切り者が出ることを予想していなかったかのようだ。)

で、今回の選挙。。。

開票が始まると反大統領サイドのテンションは一気に登り詰めた。
それはラッソ候補の優勢が出口調査から開票速報まで次々に伝えられ始めたからだ。
そして2度、ラッソ候補の当確情報*が出たらしい。(投票数値と共に見込みとして発表された情報)
それは選挙管理委員会であり、前回の不正選挙の胴元であるCNEのHomepageからも流れてきたからだ。

だがしばらくするとラッソ候補とレーニン候補(コレア大統領派)の数字が入れ替わった。

そして再びラッソ候補の当確が速報が出る。。。と、突然18分間に渡ってCNEのHomepageがシャットダウンされてしまったらしい。
(シャットダウンの事実そのものはCNEが公式に認めている。単なる事故で不正はなかったと言って訳だが。)

そしてレーニン候補の当選が発表された。。。
そんなバカなっ!?というのがもちろん、当日選挙速報に齧りついていた全員の感想であるのは言うまでもない。

その夜から首都Quitoを中心に大規模なデモが始まった。。。

だが正直Ecuador人たちはとても大人しい。。。
他のラテンアメリカ諸国なら大暴動で革命騒ぎになるが、もともと大人しい性質のEcuador人たちは多少の破壊活動はあっても、まだまだ大人しい。
(それが昔から、初めてEcuadorを訪れた時から感じたEcuadorのエネルギーの不足性だ。わたしが日本人に対して感じるのとまったく同じ性質だ。沈鬱な大気が人々の頭上高くを覆っているかのようだ。)

だから実際のところ、残念だけれどこの抗議デモが何等かの逆転効果を導き出すとは考えられない。
今はまだデモが続いているがいずれ尻すぼみになってゆくしかないだろう。

だがこんな不正を絶対に許してはならないのだ。
Ecuadorはまさに破滅に向かって突き進んでゆこうとしている。
Venezuelaの二の舞を踏むべく一直線に進んでいるのだということを未だに感じていない人々が多すぎる。
なんてバカげたこった!?

Venezuelaは世界有数の、中南米最大の富裕国だったのだ。
それが今や必要な食料も医薬品も手に入れることのできない国に成り下がってしまった。
それは現実なのだ。
それとまったく同じ道をすでに歩み始めているというのに、すでに兆候はハッキリと目に見えているのに、それに気づかなかったり、それを一過性のものだと考えたり、軽く見たりする人々の存在には驚くばかりだ。
楽観主義であったり、自分には関係ないだろうとか、政治のことは分からないという人々のことだ。
世界中の動きで関係のないことなどないのだ。
関係がないのは偶然に過ぎないのだという風に考えるべきなのだ。それはあなたが小さな小さな世界に引き籠っているからだ。
けれど世界は決してあなたを放っておかないし、引き籠ってさえいれば無関係でいられるということはあり得ない。

あとはレーニンが就任後、ことの重大さと破綻の不可避性に直面して、動揺してくれるのを期待するしかないが、もちろん、そんな可能性はまったくないだろう。哀しいかな操り人形は自分では判断しないのだ。かつてロシアでドミートリー・メドヴェージェフがプーチンと組んでやらかした茶番を真似たのだと言えなくもない。

初めてEcuador入りした時(2010年末)、すぐにわたしはEcuador社会が日本社会に似ていると感じ取った。それはEcuador社会を覆う沈鬱な空気だった。それまで旅してきた開放的なラテンアメリカではなく、閉鎖的で他者との間にある距離感の取り方が日本に似ていると感じたのだ。
もちろん、人によりけりだし、Ecuador国内でも地域によって随分と異なる。けれど総じてEcuador人たちは、特に首都Quitoの人たちはインディヘナの人たちを含めてとても大人しいというか内に引き籠りがちで、他者との間に一定の距離を保とうとする。。。

今回のデモで言えば、抗議の主体は中間層から富裕層であり、当然のように富裕層は比較的大人しく理性的に振舞うか、影に隠れがちだ。
従ってデモの性質も、失うものを多くは持たない貧困層が主体となった場合とはまったく異なってくる。それがVenezuelaでもつい最近になるまで長く抗議が功を奏することのなかった一因でもあるだろう。だからどんなに抗議が長く続いても、貧困層を巻き込まない限り、デモは拡大しない。
もうひとつの方法は不遜ではあるが、犠牲者の存在だ。抗議デモに対する過剰な国家の防衛による犠牲者の存在がアラブ諸国における民衆革命を拡大させてきたのを見るまでもなく、常に抗議の拡大には犠牲者の存在が必須でもあるのは哀しい現実だ。
残念だが、警察や軍の過剰なデモ対応が明らかな非のない犠牲者を生んだ時、初めてデモはより一層の拡大と激化を見せるし、永続性も獲得する。
社会は常に殉教者を求める。。。




ついでだから(なんの??笑)、大昔、2002年5月に書いた記事をここにそのまま抜粋しておく。

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 ガンジー神話を探ってみましょう。
彼は非暴力・無抵抗を主張し、実践した偉大な思想家です。それを否定するつもりなど毛頭ありません。だが彼ひとりでは(彼を取り巻く数万人の人々を含めても)何も実現することは不可能だったのです。結果論として俯瞰すれば簡単な構造なのですが、過激な武力に訴える独立勢力とガンジー率いる非暴力勢力。このふたつが大英帝国並びにインド領総督閣下に対して叛旗を翻し、独立を求めます。両者は何度か共闘し、非暴力活動に取り組むことになるが、結果として常にカンジーの投獄を経て弾圧され分裂に至る。その後も度重なるテロが大英帝国支配を、東インド会社支配を揺るがし、両者の衝突により多大な人命が失われてゆく。その中で和平・自治・独立に関わる交渉が何度かもたれる度にガンジーは引き出され、武闘派と共に会議に出席を求められる。すなわち、大英帝国としてはよしんば独立を認めるにせよ、過激派組織に統治させるよりはガンジー派に統治させる方が独立後の現地イギリス人の生命・財産・利権を守る上でも確実に有利であることに気付かざるを得なかった訳である。ガンジーは過激派に対するバランスの度量衡として大英帝国によって指名されたとも言える。武力闘争なかりせばガンジーの無抵抗主義・非暴力主義の結実はあり得なかっただろう。(少なくとも数十年遅れたことでしょうし、今日以上の歪みを残したことでしょう。)

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 非暴力=無抵抗主義だけでは何も実現しないということ。。。 
抗議は暴力または暴走によって拡大し、衝突による死者の発生がさらに両者の暴力を激化させる中でこそ、初めて非暴力=無抵抗主義が選択肢として権力側によって認められるという皮肉だ。
それをすべての抗議行動に於ける暴走や暴力活動を否定して、最初から非暴力=無抵抗主義だけで取り組んでも、何一つ変わらないことは認めざるを得ない。
歴史上には無血革命とか、ビロード革命とか呼ばれているものがあるけれど、実際に無血であった例はない。どの場面でも衝突があり、暴力による死傷者が発生して、それが運動の拡大に手を貸している。政府との全面的抗争に発展しなかったというのは、政府自らがその道を選んだということに他ならないのだ。
理想や理念を掲げることは決して悪くないし、素晴らしい一面もあるけれど、もう一方で圧倒的な力の差に怯むことなく闘いの道を選び、犠牲を払った人々が存在してこそなのだということを無視してはならないし、そういう人々を暴力に頼った愚か者だ、テロリストだと詰るのも独善的過ぎるということだ。


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挑発繰り返しの果てに。。。北朝鮮危機の構図 (追記あり [Argentina 2017]

鞘当てが、本気に繋がる子供の遊びか!?
これまでは安倍晋三がどうしても戦争をしてみたいと言っても、後のことを考えたらとてもそんな混乱を処理する能力なんぞ何処の国にもないので、押しとどめられてきたものを、トランプになってタガが外れるのか?

歴史を遡れば、挑発の罪は北以上に我々の側にある。或いは所詮、鶏と卵だ。
追い詰めるだけ追い詰めておいて、反撃するなというのもおかしな理屈だし、挑発に乗るのもバカげた話だ。

戦争=空爆による日本本土の危険度もさることながら、北朝鮮の崩壊後の未曾有の混乱はどの国家にも対処しきれないものとなる。
以前にも書いたように、韓国はどんなに併合を望んでもそれだけの経済的余地は持ち合わせていないし、中国が併合を望めば、新たな火種となるしかない。ロシアが国境の安全性を理由に一部を併合支配する可能性も決して薄くない。

考えてみれば分かることだが、もし韓国が米国(そして日本もだ)と組んで北朝鮮の大部分を併合しようと図り、中国とロシア三竦みで国境紛争を抱え込むことになったら、その紛争は第三世界諸国の国境紛争とは大幅に様相を異にするだろう。ロシアと中国が手を組めば、米国に成す術はないとみるべきだ。韓国がそれで納得するはずがない。新たな国境線はピョンヤンを巡る新たなベルリンの壁を生み出すかも知れない。
中露に残された地域ではゲリラ活動が活発化し、スパイ合戦が繰り広げられるかも知れないし、韓国国内では旧北残党が中露の支援を得てゲリラ活動を繰り広げるかも知れない。いずれにせよ、平和的解決は訪れそうにない。それは半ば恒久的な紛争となる。

上に書いたように、いざ北朝鮮を巡る戦争が始まれば、米韓合同軍に収まらないのは言うまでもないことだ。北朝鮮危機は日本の再軍備を一日にして成し遂げるだろうし、日本は専守攻防などという範囲を越えて日米安保条約により韓国と共に北朝鮮攻撃に加わることになる。安倍晋三を旗頭にそれに乗り遅れることをよしとする連中はいない。いざとなれば民主党を含む大半の野党もまた直ちに非常事態宣言、再軍備に諸手を挙げて賛成するのは確実だ。

日本に押し寄せる難民問題もこれまでとは比較にならないものとなるだろうし、寧ろゲリラ化しかねないごく一部の北残党勢力は韓国や中国本土より日本でこそ活動しやすいかも知れない。そうして日本国内では韓国人=朝鮮人に対する差別行為、迫害行為が勢いを増し、それに反発する韓国人=北朝鮮人勢力が反撃を過激化させ、ゲリラ活動へと繋がってゆくのを避ける手立てはない。
それに伴って、国内ではまた共産党並びにシンパを銃後の敵と見做したり、反戦活動家たちをも敵性国民と見做すような事態が起こり得る。非常事態宣言を基に言論の自由は封殺され、消費は一挙に自粛を求められる。それは北朝鮮の崩壊後も国内ゲリラ活動を理由にして何年も何年も続けられるのだ。 
この結果は決して一過性のものではないということにも人々は気づいてはいない。北朝鮮が崩壊したらすべては元通り、或いは今にも況して安全で快適な生活が戻って来ると夢想しているとしたら、それは本当にバカげた現実を知らない妄想でしかない。

さらに一旦、兵力を行使し再軍備を実現させた日本はアジアにとって本物の脅威とされるだろう。

米国の後ろ盾を嵩に着て、軍事国家となる日本が、韓国や中露に対してどんな態度を取るか、安倍晋三がどんな態度を見せるかという想像したくもない結末を迎えるだろう。日本政府は韓国政府に対し、北朝鮮攻撃に参加した恩を着せかねない。(明らかなWスタンダードだ)

もちろん、すべての経済的負担は国民に押し寄せる。それが社会保障の徹底した削減に言い訳を与える。
さらにアジア地域全体の不安定化は経済を逼迫する。。。なにひとつ得るところなく、だ。
そう、この戦争で日本が得るところは何一つないという現実を誰も認めようとしない。

日本が得ることは何ひとつ存在しないのだ。
挑発を繰り返した挙句に、存在もしなかった危機を現実に創り上げてきたのはひとえに米国の思惑なのだ。 

窮鼠猫を噛む。。。トランプのバカげた圧力とそれに気を良くした安倍晋三の放言がそういう事態を招かない保証はどこにもない。
ふたりともヒーロー映画の世界を現実と混同し、起こり得る問題についてはご都合主義のハリウッド映画ヨロシク想像力を欠く戯け者たちだからだ。
そしてメンツに異常なこだわりを見せる幼稚性も共通している。。。


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<米軍>「先制攻撃の準備」 北朝鮮核実験強行なら 米報道 毎日新聞 4/14
 【ワシントン高本耕太】

米NBCテレビは13日、複数の米情報当局者の話として、北朝鮮が6回目の核実験を強行しようとした場合、米軍が通常兵器による「先制攻撃」を行う準備に入ったと報じた。巡航ミサイル「トマホーク」を発射できる駆逐艦が近海に展開し、米領グアムの基地で重爆撃機も出撃態勢を整えているという。
 NBCによると、米海軍は北朝鮮近海に駆逐艦2隻を展開。うち1隻は北朝鮮の核実験施設がある北東部・豊渓里(プンゲリ)から約480キロの距離に配置されている。また米軍は今月8日、空母「カール・ビンソン」を中心とする空母打撃群を朝鮮半島近海に航行させていると発表した。
 トランプ米大統領は核・ミサイル開発を繰り返す北朝鮮への圧力強化を巡り、中国の協力を強く求めている。一方で、13日にはツイッターに「もし中国が北朝鮮を対処できなければ、米国が行う」と投稿し、単独行動も辞さない考えを示した。
 
---------------追記-------------------------
 
北朝鮮に「最大限の圧力」=トランプ政権、体制転換求めず―米紙  時事通信 4/15
 
 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は14日、トランプ政権が北朝鮮政策について、体制転換を目指すのではなく、核・ミサイル開発を放棄させるために「最大限の圧力」をかける方針を決めたと報じた。
 2カ月にわたる包括的な政策見直しを終え、国家安全保障会議(NSC)で今月承認されたという。
 新政策は、北朝鮮を核計画放棄の交渉に復帰させるために制裁や外交的手段を用いるという。核実験や違法な行動の停止だけでなく、朝鮮半島の「非核化」を目標にする。また、北朝鮮と取引のある中国企業を標的にした制裁も準備するが、「まず中国が自発的に北朝鮮に影響力を行使する機会を与える」という。  
 
 冒頭に書いたように、"後のことを考えたらとてもそんな混乱を処理する能力なんぞ何処の国にもないので、押しとどめられてきたものを"という構図が露呈した。
さすがにペンタゴンはトランプのバカげた発言を見逃せず、トランプに北朝鮮崩壊後のシナリオがどうなるかを説明してみせたということだろう。北朝鮮が崩壊してしまえば、米国にとってもとんでもないシナリオしか待ち受けていないことをトランプも理解せざるを得なかった訳だ。もちろん、ロジックはトランプ流に中国に対して尊大な態度で問題を押しつけるという愚行=厚顔無恥な話ではあるけれど。

だがたとえトランプが理解しても、安倍晋三と金正恩は理解しないだろうことも確実なのだ。。。
誰も彼らに説明しないし、できないからだ。

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終わりなきシリアの惨劇。。。トランプの無計画 [Argentina 2017]

トランプがシリア政府軍基地へぶち込んだ。

いよいよシリア情勢は後始末がつかなくなってしまった。。。
トランプはこの後、いったいどうするつもりだろう??
いや、どんな計画もありはしない。ただミサイルをぶち込んだだけだ。
自分は行動する男だって証明してみせたかっただけだ。議会の承認も得ず、単独で決裁してミサイルをぶち込んだ。

わはははははははははははははははは
何がおかしいかって??(不謹慎なのは承知している。)
だから言ったろ?トランプがロシアと共同歩調を進めるなんて不可能な公約だって。
そんなことはハナッから不可能事だったのだ。
そんなことを期待した世論があったことに呆れたほどだ。
できるはずのないことを彼は公約したのだ。
ロシアと手を組んでシリア問題を解決する?? バカ言っちゃいけない!
彼はシリア情勢について"内戦をしてる"以上のことは知らなかったに違いない(笑)それほどに愚かな男なのだ。
そういう愚かな男を大統領に仕立て上げてしまったさらに愚かな6000万人もの米国国民はその責任を取って欲しいものだ。
投票した者にはそれだけの責任というものがあるべきだ。


さて、だが現実がトランプを笑って済ませられるものでないのは当然だ。

本当にいったいどうするつもりだ??いや、この後いったい何が可能だろう??ということだ。
やるならアサドを暗殺するまでするしかないし、あとの未曾有の混乱と向き合うしかない。
もうミサイルをぶち込んでしまったのだ。それもロシア軍も使用している空軍基地に、だ。もはや後戻りはきかない。。。

シリア内戦はかつて歴史上になかった恐るべきものだ。。。誰にも止められない。。。
レバノン、リベリア、旧ユーゴスラヴィア、コンゴ、スーダン、アフガニスタン、イラク、etcそのどれとも異なるのだ。。。

これまで米国はISISを壊滅させると称して、シリア空爆を行ってきた。だが現実にはISISと反政府ゲリラの区別などある訳もなく(反政府ゲリラたちは状況次第でどことでも手を組んで共闘する訳で、移動先でISISに所属したり、また別の場所ではヌスラ戦線に所属したりといった渡り鳥的なゲリラ兵士だっているだろう)、結局どこを支援しているのかさっぱり分からないような混乱した空爆を行ってきた。
 しかもイラクやアフガニスタン国内では各国のイスラーム原理主義勢力を討伐する為にISISを利用したり、イスラームゲリラの勢力をシリアに向けさせる為に支援したり(敵の敵は味方としたり、敵同士の潰し合いを狙ったり)...といった従来通りの魑魅魍魎たるCIA工作活動を通じて、泥沼のようなカオスに首を突っ込んで、もはやCIA米国本部でも誰によっても統括されず、分断された作戦指示を行う以外にない事態を招いている。
もはや米国は自国がどの勢力を支援しているのか、支援すべきなのか判断できなくなって場当たり的に対処しているに過ぎないのだ。

一方のロシアは親アサド=シリア政府の立場を明確にし、ISISを代表格としながらも、反政府ゲリラならなんでも空爆の対称としてきた。それは反政府ゲリラが勢力を握る、或いは反政府ゲリラの支配下にある地域を殲滅するような過剰な空爆だったが、それが一定の効果をあげたようにも報道された。
ロシアの地域殲滅的空爆によって支配地域の安定を得たシリア政府はISISの弱体化に勢いを借りて、その殲滅作戦を一気に推し進めようと図ったのか、化学兵器の使用に踏み切った模様だ。以前から何度も化学兵器の使用は指摘され、その度に政府軍とゲリラの双方によって罪のなすりつけ合いが行われてきた。今回の事態を再び招いたのも、これまでその罪のなすりつけ合いを見逃してきたからだと思われる。

昨年の8月には、アサドの首根っこを押さえつけるしかないと書いた。
だが先立つどんな計画もないのに、シリア政府にミサイルをぶち込んでしまった以上、アサドの首根っこを抑えられる可能性はほとんどなくなってしまった。もはや米国側には暗殺の2文字しか濃厚な可能性はないと言っていいだろうが、ロシアがついている限り、それは不可能に近い。病死でもしてくれるのを待つしかないほどだ。
あとはロシアがアサドの首根っこを掴んで差し出してくれればいいが、これまでの歴史を見てもそんなことは決して起こり得ない。
じゃあ、いったいこの先、どんな未来がシリアに待ち受けているだろう。。。

このまま硬直化するのは目に見えている。トランプがまたバカげたことを仕出かさなければ、だ。
そこが一番恐れなければならない点だ。
この愚か者のすることは予測がつかない。
それこそロシアに対して脅迫紛いの言葉を吐きかねないからだ。この男のイメージする強きアメリカはそんな程度だからだ。
アメリカ万歳のハリウッド、ヒーロー映画の中にこの男は生きている。。。

 だがこれで少なくとも米国や国際社会がアサドの首根っこを押さえつけることは少なくとも数年は遠のいたと思っていい。。。
もちろん、先に書いたようにこのまま事態は硬直化するというのが相場だ。
相場だがもちろん不安要素はある。それは支持率だ。何をやっても議会や司法に妨害され、就任後ダダ下がりだったトランプの支持率はこんな愚行としか呼べぬシリア空爆でも愚かな国民たちによって高まった。
国防総省はなんとかトランプの暴走を止めようと図るだろうが、それでもトランプが支持率の回復にはこれしかないと固執すれば、少なくとも記者会見などでも暴走は止められない。ロシアも他のヨーロッパ諸国と同様、何を仕出かすか予測不能のトランプのことを一応は恐れてみているから(そんなことはおくびにも出さないけれど)、記者会見での暴言くらい見て見ぬふりをするかも知れない。けれどトランプがそれで調子に乗る可能性は十分に憂慮すべきものがある。

 トランプ降ろしは案外そんなところに起こるのかも知れないが、それはあまりに危険すぎる行為だし、米国にとっては10年掛かっても取り返せないような対ロシア失点となるだろう。

 前にも述べたように、シリアはもはや分割統治以外にない。けれどその為にはどうあってもアサドの首根っこを押さえつけるしかない。だが今のところその主導権は完全にロシアに移ってしまったし、いずれにせよ、それはまだ随分と先もいつとも知れぬ未来の話だ。
シリア国民の悲劇はまだまだ終わらないし、そこで挙げられた呪詛はまた別の悲劇の種を撒くしかない。
 幸い、思ったよりも早くISISの弱体化は進んでいるけれど、それでもISISのようなゲリラ組織が壊滅することはない。ただ地下に潜り、世界に散らばるだけだ。ISISがシリアから表面上姿を消したとしても反政府ゲリラが一本化される訳ではない。紛争の種は尽きないし、国民はその間で弄ばれるだけだ。反政府ゲリラも政府も共に決して人道的ではあり得いし、スパイ狩りも始まる。拷問や虐殺処刑は終わらないし、ゲリラ戦も終わらない。それも政府と最大勢力ヌスラ戦線の間で暫定和平が締結されたとしても...という仮定の話だ。
 逃げ出すしかないシリア国民を欧州が拒否し、追い返そうとするなら、人々はやり切れぬ憎悪をいずれかへ、すなわち欧州へ向けるしかない(なんと言っても逃げ出してきた以上、シリア政府にも反政府ゲリラにも向ける手はないからだ。)それが自らの苦境を救うことにはならないと承知しながらもやり切れぬ憤怒をいったいどうすればいいと言うのだろう?

自分自身がシリア国民であった場合という想像をしたことがあるだろうか??
あなたがもしシリア国民だったら??
それは我々の世界が公けに全世界市民へ問いかけなければならない問いなのだ。。。






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日本製品が世界で見かけなくなった当たり前の理由 [Argentina 2017]

日本人は本当に世界を知らない。。。それがすべての根幹だ。
世界を(他者を)自分たちと同じだと(同一視)することの愚かさに気づいていない。
自分たちの特殊さ(=異常さ)にまったく気づかないのは世界を(海外を)知らないからだ。
すべてにおいて自分たちのやり方が正しいとばかりに、製品や商品の開発方向性が日本文化・価値観の押しつけになっている。
ガラパゴスだなどと言って悦に入ってる場合ではない(最初は批判的意味を持って登場したガラパゴスという言葉はすぐに矜持へとすり替えられた。)
長く日本の経済植民地とし、日本的価値観を刷り込んできたアジアを海外市場のモデルと考えるのも同様だ。


なんてバカな記事なんだろ?!
日本製品が世界中で売れなくなったのは、記者が書くような意味での"消費者の需要を掘り起こす、商品開発力を失っていること"でもなんでもない。
この記事で紹介されている(まあ、日本の記事は批評も含めて、すべて御用広告だからダメなんだが)メーカーのようにさらなる新機能や高品質での高価格ラインアップをどんなに頑張ったって、日本国内では売れても、世界市場では一切売れないに決まっている。となると、そもそも記事の書き出しと完全に矛盾している。世界とはまったく関係ない。
ホントにバカなんだろなあ。。。
世界中で日本製品が駆逐されたのは高価格だからだ。他に理由はない。中国製品はとても品質が悪いのは誰もが知っているけれど、それでも安いからそれを買うしかない。日本製品なんて高すぎて売れないというのが理由だ。
日本が完全に忘れているのは、そもそも頭の中にもないのは、世界市場だ。もっと言えば、世界の一般市場だ。
或いは世界の一般市場を日本市場の延長としてしか想像できない海外知らずにある。
海外と言えば、米国と地中海ヨーロッパ、そしてアジアしか想像できない海外知らずだ。

中国製品は安くて悪い。。。
だから日本製品が目指すところは、高くて高品質なのか?? わははははははは
違う、違う!!
すべてのあらゆる分野の日本製品が目指すところは、安くていい商品(高品質)なのだ。
新機能ではなく、基本機能だけでもいいから、可能な限りコストを抑えて、安価な海外市場普及版商品開発に本気を出すことだ。
少し前まで日本企業はそれを無理だと投げ出していた(いまだにその固定観念にあるのだろう。それも海外知らずだからだ)。
中国の人件費は異常に安いから、価格の安さ競争では絶対に勝ち目はない、というのがそれだった。
だが中国の人件費はもう10年以上うなぎ登りだ。
もちろん、安い人件費で賄っているところもあるだろう。けれどそういうところにまともな製品は作れない。
悪い品質の中国製品と雖も世界市場を相手にする中で、少しでもロスを減らそうとすれば、高騰する人件費と向き合わなければならない時代になっている。

これらは一個1万円のイチゴと同じ構造なのだ。
どんなに美味しい一個1万円のイチゴを開発しても世界市場では相手にされない。
そんなこと誰でも分かるのに、日本人だけは一向に分からない。わははははは
そんなことやってるからTPPでも、不関税同盟でも発行したら、日本の農家は窮地に追い込まれる。
もっともバカげているのは1個1万円のイチゴがその解決策だと考えている節があることだ。
前にも書いた通り、日本の農家が取り組まなければならないのは、如何に美味しくて安価なイチゴを大量生産できるか!だ。
それがTPPや不関税同盟から自らを守る唯一の実効的手立てだ。
そしてそういう美味しくて安価で大量に生産したイチゴを輸出に向ける為にさらに一層の努力と開発に取り組むことだ。

家電メーカーにしても同じことだ。
そういう土台があって、新機能、高品質の高価格商品も生きてくるということを完全に失念している。
高いモノだけではどうしようもないのだ。市場シェアがゼロな近いのに高価格バージョンをひたすら開発しても世界中でそんなものが売れる訳がない。
こう言うとAppleばかの取り上げられる。Appleはその創造の独自性からしてスタートでただ一社、唯一無二の新規市場開発者だったのだ。
そのAppleの優位性も、もうすでに過去のモノでしかないことにも気づいていない。今あるのはブランド力だけだ。
いずれ日本企業の二の舞を踏まないとも限らない。
SUMSUNGは低価格の市場シェアを確保しながら、その土壌の上にかつての日本と同じく二番煎じの安価で使用に耐える製品を送り出し、日々その改良に取り組みつつある。

例えば炊飯器はアジアくらいでしか売れないと想像されているに違いない。
中南米の大半の国ではお米は主食であるにも関わらず、いまだにほとんどすべての家庭で安物のお鍋で炊かれている。
レストランなどで電気釜を使っているところも韓国製、米国製だ。まったくダメダメだ。
そもそも日本米ではなく、外米に対応した炊飯器や、中東アフリカ用にお米以外の穀物に対応するような炊飯器だって開発できないことはないだろう。それくらいの切り替え、スイッチひとつで実現してもおかしくはない。キヌア、クスクス、雑穀はもはや世界の健康スタンダードだ(雑穀ボタンがすでにあることくらいは知ってるぞ。笑)。
パン焼き製造機(ホームベーカリー)だって価格や各国事情に適応した製品次第では世界市場で売れる余地はいくらでもある。
全自動の製麺機だって同じだ。パスタからラーメン、うどんまでいろんなタイプのものを安価で開発することも可能だろう。
そういう家庭用の安価な普及品市場を土台に、業務用や高品質高価格専門機まで販路を創り上げるという努力が必要なのだ。
世界中に寿司レストランは気の遠くなるような数がある。
世界中の人々が米を主食のひとつとして認めている。けれど日本の企業も農家もそこにどんなアクションも起こさない。
なんなら扇風機だってそうだ。エアコンだってそうだ。低価格高品質の商品開発はいくらでも市場がある。
最大の課題は高機能・高品質・新機能ではなく、低価格・高品質・基本機能なのだ。

日本ではどんな新商品も宣伝で売る。
それも大きな勘違い、間違いだ。
世界では日本のようになんでもかんでも宣伝して新商品を売るなんてことは不可能だ。
多くの場合、日本のように使い勝手のいい宣伝媒体が存在しないからだ。
共通はネットくらいだ。
海外では、特に第三世界と呼ばれる巨大な成長市場では宣伝なんぞ捨てて掛からねばならない。
宣伝という方法はないと考えてしかるべきだ。
そもそもありとあらゆる商品を宣伝で売ること自体が異常なのだ。
その巨大な宣伝費は価格に反映されるか、或いは本来の利益からカットされ、賃金へとは決して反映されない訳だ。
お菓子や清涼飲料の新製品なんぞどうして必要なのだ??お菓子や清涼飲料の新製品の宣伝など消費者が望んでいるものなのか??
ビールになんで新製品投入が必要なのだ??そんなこと消費者が望んでいるのか??
ウイスキーやスコッチはいつまで宣伝が必要なんだ??
サランラップはいつまで宣伝するんだ?? (クレラップとの競合の為だ。アルミホイルは宣伝されない。笑)
コンビニで新商品が発売される度に宣伝されるのは何かおかしくないか??
すべてのコンビニが新商品の宣伝なんぞやめればいいのだけれどね。わはは
そうやってフランチャイズの利益はどんどん食い荒らされ、食いつくされる。。。本質的に消費者はそんな宣伝なんぞ望んではいない。
前にも書いたように、日本という社会は不必要なもので溢れている。不必要なモノに取り囲まれ、憑りつかれている。。。

その不必要なモノを世界で売れないと嘆くのは、本当にどうかしている。

わたしは何も海外を礼賛している訳ではない。広い海外で市場を獲得しようとするならば、当然海外という社会を知らねばならないと言っているだけだ。それは海外旅行の回数でも、訪れた国の数でもない。出張族の小さな日系コミュニティ社会のことでもない(これが諸悪の根源のひとつでもある)。
海外の市場という巨大なマーケティングについて知ることの必要性だ。
そして日本流を押しつけるのではなく、海外各国の事情にあった商品改定版をより安価に提供して販路を拡大することだ。
中国製より安い必要はない。同じ価格帯なら間違いなく日本製品が上だということはすべての人々に共有されている。(もっともどれが日本製でどれが韓国製、中国製かを見分けることの難しさはある。)
だがマーケティングの基本は、安くていいモノはみんなが欲しがるという、たったそれだけの真実だ。
"いいモノ"の基準はそれぞれの社会のレベルによって異なってくる。新機能・高機能が主たる"いいモノ基準"である国はそれほど多くはないし、少なくとも富裕層と一般庶民の比率に目を向ける勇気さえあるならば(笑)大きな市場とは言えない。
新車は中古車になるまで巨大な自動車市場を獲得しないという恐るべきお笑い草と同じだ。
農作物にブランドがあるのも日本の特殊性だということを知らねばならない。海外でそんなものは巨大なマーケットの中にはまったく存在しない。
高価で美味しい農作物など、10分の1、50分の1で入ってくる海外の安価な農作物の前にはとても太刀打ちできやしない。
あなたが5kg、3千円で購入しているお米の横に、5kgで300円の外米が並んだら?? チリ産やペルー産のお米なら、それほどマズくはない。
アジアにはきっと同じようにマシなお米があるかも知れないし、すぐにそういう展開になるだろう。
違いの分からない連中だってたくさんいるだろう。その価格なら貧困層でもお米だけは食卓に並べられるだろう。日本米とのブレンドが進めば5kg1000円で平然と食べられる程度になるだろう。次第に5kg3000円の日本米は売れなくなるだろう。
イチゴだって200g/100円で店頭に並ぶだろう。多少甘くなくても、子供のいる家庭がそれに手を出すことは十分に想像できる。そのうち味のスタンダードが変化してくるだろう。200g/1000円のイチゴは滅多に買ってもらえなくなる。

"消費者の需要を掘り起こす、商品開発力"なんぞどこにも必要ない。
とにかく安価で提供できるよう普及品をラインに乗せるだけだ。それが唯一の突破口になる。
最新テクノロジーは量産には向いていないという当たり前のことだ。最新テクノロジーの開発はもちろん続ければいい。
けれど最新テクノロジーは毎年のようにすぐに塗り替えられるから量産すべきものではないのだ。そんなこと、この20年間で嫌というほど消費者も含めて知っているはずなのに、まだ目が覚めない。PCからカメラや携帯電話までもうそんなことばかり繰り返して30年にもなるのに、だ。
それは不必要なモノに取り囲まれ、憑りつかれ、宣伝によって"ありもしない購買意欲"を刷り込まれているからだ。洗脳状態だと言っていいだろう。


日本人は本当に世界を知らない。。。それがすべての根幹だ。
それは決して海外旅行の経験や海外在住経験とは関係ない。語学教養ともまったく無関係だ。
日本からただの一度も出たことがなくても、ちゃんと耳目を海外に対して開いていれば理解できるはずのことだ。
世界を知るのに海外に出る必要はないし、逆に言えば、海外に出たところで何一つ世界を知ることなんて出来やしないってことだ。
問題は頭の中にある。世界を知るのを拒否して自らの価値観に閉じこもっている知性の偏り、いや、それを愛国心だなどと正当化しているとすれば根本的知性の欠如にあるとさえ言えるだろう。





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トランプの末路は... [Argentina 2017]

前代未聞の米国大統領トランプ狂騒曲が一向に和音を奏でない。
序曲のファンファーレは高々に不協和音を奏でたが、それでもそのうちにありがちな手垢に塗れたメロディにでも落ち着くのかと思われたが、その後も決してアヴァンガルドでもない滑稽な不協和音を奏で続けている。もはやオーケストラは演奏を停止するのではないかと思えるほどだ。

 娘婿に引き続き、今度は正式に娘を政権に迎え入れた。。。
もはや家族にしか頼れないのか、家族の言うことしか聞き入れないのか、いや、その両方が相まって、各省長官がその執り成しを最後の砦としてトランプ氏の家族贔屓に託したのかも知れない。。。


 おかしなところがない訳でもない記事なので全文は引用しないから読んでみて頂きたいが、もはやトランプの素人運営ぶりは誰の目にも明らかで、国際社会は表面上はともかくも、もうトランプを相手にする気はないと言っていいだろう。すなわち"トランプ相手に喧嘩する"気もないという訳だ。
そんな中で、イギリスのメイ首相と安倍晋三だけがトランプ狂騒曲で踊ろうと奮闘しているが、まともな国民の顰蹙を買うばかりだ。もっともまともな国民というのが多数派であることは珍しいのだけれど。

 取り敢えず、上の記事について注釈しておくと、NATOというのはそもそも米国のモノではない。各国代表の条約機構であり、米国の影響力が如何に大きいとは言え、米国政府の直指揮権にある訳ではない。だからそもそも米国大統領がNATOに成り代わって、ドイツ首相に対して、負債の取り立てを迫るような権限は一切ない。それすらも理解していないトランプに対して国防相のマティスも、赤面モノだった訳だ。
 記者の文章もその辺が曖昧だが、確かにNATO機構軍の司令官は米国人だが、NATOの最高責任者(事務総長)は創設以来ずっとヨーロッパ人であると決まっている。さらに冷戦時代はついに一度も軍を動かさなかったNATOが近年になって軍を実践配備しているのは、9.11テロ以降の米国の動きと無関係ではない。そもそもNATOが初めて軍としての実践活動をしたのは、セルビア空爆だ。それも米国が強く望んだことだった。
その後のアフガン侵攻に至っては、NATOは空爆には不参加を貫いたにも関わらず、その後、アフガンの紛争平定に米国が疲弊したことから肩代わりを求められて参加している。米国の強い要望なしにNATOが動いたのはリビア空爆だけだが、それもこれもセルビア~アフガン~イラクという前例がなければあり得ないことだった。そう考えれば、リビアは米国の利害ばかりではなく、一度くらい自分たちの利害を為に軍事力を行使してみたい...と彼らが考えた末の行動と言えなくもない。
 トランプは"負債"と表現したが、もちろん実際に"負債"がある訳ではない。各国の支出目標値として2%が定められているが、それは目標値であって、各年の予算は供給された額によって(事前すり合わせもあるだろう)成立しているので、平時に大きな赤字負債が生じることはほとんどないだろう。寧ろ、赤字は戦時予算や緊急事態の動向によって生じると考えられる。そうなると軍隊を動かすことを強く要望する米国が戦時負担の相当分を引き受けるのは当然のことだし、そうでなければヨーロッパ各国はNATO軍の活動にOKを出さないだろうからだ。
 そういう様々なことを考え合わせるとトランプの言うドイツの"過去の負債"などというものはそもそも概念として存在しない。マティスはそれを指摘しているのだが、記者の文章はとても曖昧で正確に伝わっているとは言えない。トランプとしては、仮にNATO予算について発言するとしても、"ドイツは直ちに2%の支出目標を達成すべきだ"と言うことは出来ても、存在もしない過去の負債を請求書の形で手渡すなどということは越権行為でもあるし、バカげた喧嘩を売るに等しい行為だ。
 だからこの文章はあちこちの文章の引用、寄せ集めに終わっているとしか言いようがないけれど、それを踏まえても、何も知らないで、何も調べようとしないで、文章を理解することすらできないで、こういうニュースに乗っかって、トランプ批判にせよ、ドイツ批判にせよ、日本の対北朝鮮問題に絡みつけようとするコメントにせよ、ネット上でコメントしている連中は本当に浅はかで愚かだとしか言いようがない。どうして何も知らないことを少しばかりも調べもしないでコメントしたりすることが出来るのだろう?? 知らないこと自体は別に問題ではない。だが自分の意見を書き込む前に、どうしてちゃんと文章を読み直したり、ちょっと調べてみたり、といったことさえ出来ないのだろう。このバカどもには本当に反吐が出る思いだ。
小学生レベルの知能しか持たない所謂、"立派な社会人たち"が大勢存在するという事実はもう絶望的な事態でしかない。


 さて、トランプのことに戻ろう。。。この前代未聞の米国大統領についてだ。
米国の世界に及ぼす影響力は計り知れない。そんな国の代表に米国民によって(選挙方法によって)選ばれてしまったのがトランプだ。
この素人大統領は、本当に政治的な知識というか、政治的なことにほとんど関心がないままに生きてきたと考えられる。ビジネスとその儲けの使い道だけが彼の人生の大半ー占めてきたはずだ。だがどういう訳か、有名になり過ぎた挙句、そして政治家たちとの(個人的な)面識が増え、自分の発言がメディアに取り上げられるに連れて、この男はひょっとしたら自分も大統領になれるんじゃないか、大統領になって世間を見返したいと思うようになったのだろう。
彼が選んだ人選、彼がプロと見做した人選は、ただ単にその分野を職業としてきたやはり素人ビジネスマン(軍人であれ、だ)に過ぎない。政治家ではないということだ。
それは...じゃあ、政治家ってなんだってことにも繋がる。。。
政治家になる前からの政治家なんてごく少数の例外的マニアを除いて居やしない(そんな人物は政治評論家になっても、実際に政治家になんてなれやしないのかも知れない)。大統領になる人物が何もかも知っているとか、天才的であるとか、そんなことは誰一人当てはまらないだろう(期待できる最大値は精々が清廉潔白であることくらいだろう)。けれど政治家というのは、少なくとも国内政治や国際関係についてたとえ限られた分野であれ、何某かの感心を持っていた上で(それが間違った知見であろうと、だ)、当選後は政府機関で働く専門家たちの意見を聞いて、情報を集約し、時に素直に従い、時に自分で判断しつつも、折り合いと妥協点を探って、国家や経済界、国民の間のそれぞれの立場の人々が理解し、納得できる(満足させるべく)或る方針を決断しなければならない(自身の派閥である民主党員、共和党員の意見に偏りが出たとしても、だ)。そういう意味では素人であってもいいのだろう、誰ひとりとして大統領になれる資格だとか、そういう資質を完璧に備えた人物なんて存在しないと考えるべきだろうから。。。けれど、そういう専門家たちから市政の庶民、経済界の重鎮から労働者までの意見を集約して、さまざまな情報を自ら求めて集約させて、ブレーンとなる専門家たちの意見を闘わせて(そもそも優秀なブレーンを募って)、最終的にサインをするのが大統領職というものだろう。決して自分の考えを押しつける権力の実態ではないはずだし、そうであってはいけない。
 けれどこの男のしていることは、まさにそれなのだ。周囲の意見に耳を貸さず、周囲に自分のイエスマンばかりを置きたがり、挙句に周囲を家族で固めて、自分の至らない思いつきを実行してみたい、実行するのが大統領だという間違った野望に突き動かされているのだ。



 正直、いまだにこの男が4年間をまっとうする姿が想像できない。
共和党の内部にも、やはり彼に任せるべきではなかったという意見(もともとの反トランプ陣営だけでも相当なものだ)が多いけれど、それだけでは彼を罷免、弾劾するだけの材料にはならない。なにかしら事件が、憲法違反や個人的違憲行為が露呈しないことには、ただやり方が間違っている、こんなやつに任せておけないというだけでは、彼を大統領の職から引き下ろすことは出来やしない。

現在、世界は彼に振り回されているが、それでも彼のおかげで、多少とも米国の世界に対する影響力が今後に渡って低下することになるなら。それ自体は歓迎されるべきだ。彼のおかげで米国大統領の世界的権威もまた地に堕ちつつある。それと共に、米国民がもう2度とこのような男を選ばないことを学ぶなら、彼が決定的な一手を打って世界に打撃を与える前に、早急にこの舞台から姿を消すならば、それもまた歓迎すべきことだ。

けれど、まだまだ不安は続く。
特に対パレスチナ、対イスラエル関係だ。
この男は、大統領になったら、エルサレムをイスラエルの首都として認めるという発言をしていたが、今のところ、その公約を果たす気配はない。さすがに周囲から止められているのか、優先事項で躓き、そこまで至らないだけなのか分からないけれど、オバマ・ケアの代替え案すら通らず、壁の建設すら持ち越しになった今、ヤケになって、そんな大統領令にサインすることがないように願うばかりだ。
イスラエル政府はトランプのその一言を待ちわびている。。。そしてパレスチナはその発言に対する抵抗の狼煙の準備をすでに整えている。一旦、口火を切ってしまえば、もはやトランプの辞任くらいでは歴史は後戻りはしないのだ。取り消せない、取返しのつかない出来事というものが世界にはたくさんある。

これだけ次々と覆されれば、もはやトランプの大統領令は議会によっても軽視され始めるだろう。議会も、州も、市民もまた大統領令及びトランプの施策そのものを軽視し始めた。。。壁の建設の延期はまさにその骨頂だろう。もちろん、予算案を期日までに通すことが最優先された訳だが、同時にトランプの治世がいつまで続くか疑問符がつくのに、巨大な壁の建設に取り掛かるのは時期尚早だと大方が判断し始めたと考えるべきだ。あとはトランプがなにか憲法違反を仕出かすか(自ら投げ出すなんてとんでもないこともあり得ない話ではないと思っているが)、米国内でテロが起きて、少なくとも一時的にトランプ寄りの支持が増すか、のどちらが早いかという問題だろう。そんなこんなで後は北朝鮮問題に飛び火しないことを祈るばかりだ。
トランプと金正恩がお互いに鞘当てを始めたら、もう目も当てられない。。。



だがもちろん、もっと情けないのは誰よりもいち早くこの男にすり寄った日本国首相という奴だ。
バカはバカを惹きつけるのか、人を見る目、そもそも知性がないとはこういうことなのか。

そんな首相を追い詰めることもできない野党も存在価値なんぞゼロだ。
もはや一時のブームは過ぎ去り、デモすらも起こらないとすれば、国民の存在価値なんぞも怪しいと言わざるを得ない。
それでも"日本が好きだ、日本は素晴らしい"という輩が無数に存在するのは、もうこの世の終わりかと思うばかりだ。

わたしの方でも正直、もうすっかり、こんなことばかり書くのにもうんざりしつつある。
この5月にはこの旅も10年を迎える。どうやらわたしの口を閉じる時期が近いのかも知れないと本気で考える。。。




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エクアドル不正選挙の行方  [Argentina 2017]

さて、Ecuador選挙について書き留めておきたい。
2017年2月19日、エクアドルで大統領選挙が行われた。
第一回投票結果では当選者が確定せず、来たる4月2日に第二回、決選投票が行われることになっている。

まずこの選挙が現大統領コレアによる代理選挙だということを挙げておきたい。
コレア大統領は2007年から現職にあるが、これまで憲法の再選規定と任期規定(2年を4年に)を改定して、2009年に再選(2年)、さらには2013年には4年任期として現職に留まり続けてきた。だが彼はさらに永代大統領としてエクアドルを支配したいと考えている。その為に彼は2014年10月31日無期限再選を憲法裁判所に認めさせたが、コレア自身の直接再選を規制する意図を持って、かろうじて憲法改正の承認は2017年5月24日とされた(絶対過半数を獲得するコレア派だが、野党の矛先を交わす目的で条件付けされた)。すなわち今回の選挙時においては無期限再選は適用されない。現規定では再選は一回だけだから、今回の大統領選挙に彼は出れない。従って彼は自身の代理としてレーニン・モレノを代理として立てた。そしてモレノの後任として再び、今度は無期限再選を手に2021年大統領職に返り咲こうという手筈だ。
だが偶然にも今回の代理選挙はコレアにとってとても重要な意味を持つこととなった。それはこれからの4年間がEcuadorにとってもっとも困難な解決不可能な状況に直面するからだ(最後の引き金は10年後の地震復興債の償還期限だが)。Ecuador国庫はもはや空だと想像されている。長引いた石油価格の低調によって外貨収入がなく、にも関わらずドル経済によるEcuadorは、ドル紙幣を印刷する度に、保有している金Goldを米国に支払わなければならない。さらにそうやって印刷した多くのドルが輸入によって米国へと流れてゆく。。。これは自国にとって二重の損失となるしかない。だからコレアはこの数年に渡って、輸入規制を強め、毎年輸入を削減規制してきた。
だがどうしたって、収入より支出の方が多くなるのは構造上止められない。金Goldを支払ってドルを印刷し、そのドルを米国に支払うのだ。どんな手があろうか!?
幸いにも石油価格はサウジの減産協力により上昇を始めたが、その後の価格は安定値にあり、かつての勢いはない。
もはやじり貧のEcuadorはこれからの4年間に最初の危機に直面する。だからコレアとしては、この4年間の失策を代理であるモレノの失策に押しつけることも不可能ではないということだ。普通なら国民はそんなものに騙されないと思うが、いやいや貧しいEcuador国民の認識はとてもそれを見破れるようなものではない。彼らのコレア人気は不動のものだ。中間層はようやく気付きつつあるが、それが今回の選挙の結果を左右することになるだろう。

だが2月19日に行われた大統領選挙では国民の前に暗雲が立ち込めた。。。
不正だ。
それもあまりにも大規模過ぎて、嘘じゃないかと思われるほどの不正選挙だった。
当日からFacebookに次々と信じられないようなコレア派の不正選挙の実態が写真つきでupされ続けた。
それはもう本当に俄かには信じがたいものばかりだった。

同一居住地で同姓同名の異なる顔の投票券が次々にFacebookにあげられてくる。(各地の選挙監視委員が不正を見つけてupしている様子)
なかには完全に未成年どころか、幼児の顔写真の生年月日は成人の投票券まで存在する。(※投票は写真入り身分証明書と投票券のふたつで可能となる)
各地で本来、投票者に届けられるべき投票券が大量に燃やされていたり、また投票後にまとめて焼却された残りの身分証明書(偽造)が発見されたりと、それがもしすべて真実だとしたら、とんでもないイカサマ選挙だったことになる。
ベネズエラ人がEcuadorの投票券と身分証を所持していた例もあった。
投票券だけでなく、写真入り身分証明書と写真入り投票券の両方を偽造しなければならない訳で、もちろん、国家の大々的関与なしには起こり得ない。

その結果を受けて、開票直後からEciadorでは連日、選挙管理委員会だったCNE前で大規模な市民の抗議のデモが続いた。
それは本当におぞましいくらいの、今でも半信半疑になるほどの大規模な不正選挙だった。

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だが、にも関わらず、左派モレノは38.68%、元銀行家の保守派ギジェルモ・ラッソは28.86%を獲得という結果だった。
だからもしも不正選挙がなければラッソが勝利していた可能性もなくはないと思われるほどだ。
※ちなみにエクアドルの法律では、第1回投票で勝利するためには、最低40%以上の有効票と2位の候補者に10%の差をつけなければならない。過半数の50%以上でも確定。

さて、開票結果を受けて、ことは4月2日に決選投票が行われることになった。。。
だが不正選挙は再び続けられるだろうことは間違いない。
これだけの規模の不正選挙が堂々と罷り通るならば、コレア派の勝利は絶対に動かない。
どんな対抗策もない。

国民は決選投票の結果を決して受け入れないだろう。。。
その時、Ecuadorはどう動くのか??


ちなみに破綻に直面するEcuador経済は、米ドル経済であるが故に、通常のデフォルトの形と少し様相が違ってくる。
もちろん、破産申し立てしかないが、負債によるというよりは金庫が空っぽであるというのが大きな原因となる。
IMFなどの支援を招く他ないが、過去の経緯からしてコレア派モレノは決してそれを受け入れないだろう。
となると、モレノには国家を中国に売り渡す他なくなる。米ドル経済からウォン経済への転換で、中国に国家に対して巨額投資してもらう手だ。
※ロシアはそんなことはしないだろう。
すでにジンバブエは中国ウォン経済国となっているから、あり得ない道ではない。

もしギジェルモ・ラッソが勝利してもEcuador経済が破綻している事実は変えようがない。けれど彼はきっとIMFなど国際金融機関の支援を求めるだろう。そして国内のガス価格という禁じ手を使うしかなくなる。
問題は寧ろその方がその後の2021年、再びコレアの再選を確実にするのではないかと思えることだったりする。

だから今回の選挙はどちらが勝っても、コレアは比較的無傷でいられる。
モレノが中国に頼ったら、それを非難し(わたしならもっとうまくやったと言うだろう)、ラッソがIMFなどに頼ってガス価格を上昇させたりすれば、それを非難するという手だ。
寧ろこれからの4年をコレアが担当していれば、それこそコレアの失墜を決定的なものにしたかもしれないと思えるほどだ。

コレアは最初の4-6年間ですべきことを、国民のとって必要なことをたくさんやり遂げた。。。
だがもはや彼にはどんなアイデアもないし、やたらと道路整備(公共工事)に注ぎ込んだ彼は石油価格の上昇に期待するという無策のまま国庫を空にしてしまった。。。Chavez時代に調子に乗って、米国と国際社会、取り分け、国際金融機関を完全に敵に回してしまった。。。
Chavez亡きあと、後ろ盾を失ったにも関わらず、体面にこだわって軌道修正の機会を逃してしまった。
彼には"ありがとう、コレア。そしてサヨウナラ"と言うべきなのだ。

石油価格の大幅な上昇はもはや見込めない。それはかつてのオイルショックがまるで冗談であったかのような、一向に減少の兆しを見せない原油埋蔵量に加え、シェールガス・エネルギーなど新しい形態の自然エネルギーの発見活用にもよっている。そもそも地球の寿命が45億年だとすれば、化石燃料と呼ばれた(現在では化石燃料ではないとされているが結局正体は分かっていない)原油がたかが100年や200年の使用で枯渇する程度であるはずもなかったのかも知れない。

無策で、外交拒否し、外貨不足から経済鎖国を選び、ただ原油価格の上昇を待つだけなのに、永遠に大統領の座(権力の座)に留まろうとする政治家などもはやEcuadorに必要でないことだけは確かなのだ。けれどコレア信奉者の耳目は閉ざされたままだ。何も現状を見ないし、知ろうとしない。

Gracias, Pres.Correa. Ahora adios!





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