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エクアドル大統領選挙の結末。。。  [Argentina 2017]

4月2日、エクアドル大統領選挙の決選投票が終了した。
前回書いた通り、一度めの投票では大規模な不正が行われたのは事実だろう。
そして当然のように、今回もまた...。

ただ今回は前回のように明らかな証拠が出るのを恐れて手段を変えたようだ。
(※前回は公務員や選挙管理、監視委員の中から裏切り者が出ることを予想していなかったかのようだ。)

で、今回の選挙。。。

開票が始まると反大統領サイドのテンションは一気に登り詰めた。
それはラッソ候補の優勢が出口調査から開票速報まで次々に伝えられ始めたからだ。
そして2度、ラッソ候補の当確情報*が出たらしい。(投票数値と共に見込みとして発表された情報)
それは選挙管理委員会であり、前回の不正選挙の胴元であるCNEのHomepageからも流れてきたからだ。

だがしばらくするとラッソ候補とレーニン候補(コレア大統領派)の数字が入れ替わった。

そして再びラッソ候補の当確が速報が出る。。。と、突然18分間に渡ってCNEのHomepageがシャットダウンされてしまったらしい。
(シャットダウンの事実そのものはCNEが公式に認めている。単なる事故で不正はなかったと言って訳だが。)

そしてレーニン候補の当選が発表された。。。
そんなバカなっ!?というのがもちろん、当日選挙速報に齧りついていた全員の感想であるのは言うまでもない。

その夜から首都Quitoを中心に大規模なデモが始まった。。。

だが正直Ecuador人たちはとても大人しい。。。
他のラテンアメリカ諸国なら大暴動で革命騒ぎになるが、もともと大人しい性質のEcuador人たちは多少の破壊活動はあっても、まだまだ大人しい。
(それが昔から、初めてEcuadorを訪れた時から感じたEcuadorのエネルギーの不足性だ。わたしが日本人に対して感じるのとまったく同じ性質だ。沈鬱な大気が人々の頭上高くを覆っているかのようだ。)

だから実際のところ、残念だけれどこの抗議デモが何等かの逆転効果を導き出すとは考えられない。
今はまだデモが続いているがいずれ尻すぼみになってゆくしかないだろう。

だがこんな不正を絶対に許してはならないのだ。
Ecuadorはまさに破滅に向かって突き進んでゆこうとしている。
Venezuelaの二の舞を踏むべく一直線に進んでいるのだということを未だに感じていない人々が多すぎる。
なんてバカげたこった!?

Venezuelaは世界有数の、中南米最大の富裕国だったのだ。
それが今や必要な食料も医薬品も手に入れることのできない国に成り下がってしまった。
それは現実なのだ。
それとまったく同じ道をすでに歩み始めているというのに、すでに兆候はハッキリと目に見えているのに、それに気づかなかったり、それを一過性のものだと考えたり、軽く見たりする人々の存在には驚くばかりだ。
楽観主義であったり、自分には関係ないだろうとか、政治のことは分からないという人々のことだ。
世界中の動きで関係のないことなどないのだ。
関係がないのは偶然に過ぎないのだという風に考えるべきなのだ。それはあなたが小さな小さな世界に引き籠っているからだ。
けれど世界は決してあなたを放っておかないし、引き籠ってさえいれば無関係でいられるということはあり得ない。

あとはレーニンが就任後、ことの重大さと破綻の不可避性に直面して、動揺してくれるのを期待するしかないが、もちろん、そんな可能性はまったくないだろう。哀しいかな操り人形は自分では判断しないのだ。かつてロシアでドミートリー・メドヴェージェフがプーチンと組んでやらかした茶番を真似たのだと言えなくもない。

初めてEcuador入りした時(2010年末)、すぐにわたしはEcuador社会が日本社会に似ていると感じ取った。それはEcuador社会を覆う沈鬱な空気だった。それまで旅してきた開放的なラテンアメリカではなく、閉鎖的で他者との間にある距離感の取り方が日本に似ていると感じたのだ。
もちろん、人によりけりだし、Ecuador国内でも地域によって随分と異なる。けれど総じてEcuador人たちは、特に首都Quitoの人たちはインディヘナの人たちを含めてとても大人しいというか内に引き籠りがちで、他者との間に一定の距離を保とうとする。。。

今回のデモで言えば、抗議の主体は中間層から富裕層であり、当然のように富裕層は比較的大人しく理性的に振舞うか、影に隠れがちだ。
従ってデモの性質も、失うものを多くは持たない貧困層が主体となった場合とはまったく異なってくる。それがVenezuelaでもつい最近になるまで長く抗議が功を奏することのなかった一因でもあるだろう。だからどんなに抗議が長く続いても、貧困層を巻き込まない限り、デモは拡大しない。
もうひとつの方法は不遜ではあるが、犠牲者の存在だ。抗議デモに対する過剰な国家の防衛による犠牲者の存在がアラブ諸国における民衆革命を拡大させてきたのを見るまでもなく、常に抗議の拡大には犠牲者の存在が必須でもあるのは哀しい現実だ。
残念だが、警察や軍の過剰なデモ対応が明らかな非のない犠牲者を生んだ時、初めてデモはより一層の拡大と激化を見せるし、永続性も獲得する。
社会は常に殉教者を求める。。。




ついでだから(なんの??笑)、大昔、2002年5月に書いた記事をここにそのまま抜粋しておく。

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 ガンジー神話を探ってみましょう。
彼は非暴力・無抵抗を主張し、実践した偉大な思想家です。それを否定するつもりなど毛頭ありません。だが彼ひとりでは(彼を取り巻く数万人の人々を含めても)何も実現することは不可能だったのです。結果論として俯瞰すれば簡単な構造なのですが、過激な武力に訴える独立勢力とガンジー率いる非暴力勢力。このふたつが大英帝国並びにインド領総督閣下に対して叛旗を翻し、独立を求めます。両者は何度か共闘し、非暴力活動に取り組むことになるが、結果として常にカンジーの投獄を経て弾圧され分裂に至る。その後も度重なるテロが大英帝国支配を、東インド会社支配を揺るがし、両者の衝突により多大な人命が失われてゆく。その中で和平・自治・独立に関わる交渉が何度かもたれる度にガンジーは引き出され、武闘派と共に会議に出席を求められる。すなわち、大英帝国としてはよしんば独立を認めるにせよ、過激派組織に統治させるよりはガンジー派に統治させる方が独立後の現地イギリス人の生命・財産・利権を守る上でも確実に有利であることに気付かざるを得なかった訳である。ガンジーは過激派に対するバランスの度量衡として大英帝国によって指名されたとも言える。武力闘争なかりせばガンジーの無抵抗主義・非暴力主義の結実はあり得なかっただろう。(少なくとも数十年遅れたことでしょうし、今日以上の歪みを残したことでしょう。)

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 非暴力=無抵抗主義だけでは何も実現しないということ。。。 
抗議は暴力または暴走によって拡大し、衝突による死者の発生がさらに両者の暴力を激化させる中でこそ、初めて非暴力=無抵抗主義が選択肢として権力側によって認められるという皮肉だ。
それをすべての抗議行動に於ける暴走や暴力活動を否定して、最初から非暴力=無抵抗主義だけで取り組んでも、何一つ変わらないことは認めざるを得ない。
歴史上には無血革命とか、ビロード革命とか呼ばれているものがあるけれど、実際に無血であった例はない。どの場面でも衝突があり、暴力による死傷者が発生して、それが運動の拡大に手を貸している。政府との全面的抗争に発展しなかったというのは、政府自らがその道を選んだということに他ならないのだ。
理想や理念を掲げることは決して悪くないし、素晴らしい一面もあるけれど、もう一方で圧倒的な力の差に怯むことなく闘いの道を選び、犠牲を払った人々が存在してこそなのだということを無視してはならないし、そういう人々を暴力に頼った愚か者だ、テロリストだと詰るのも独善的過ぎるということだ。


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