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事実と向き合う。 [Argentina 2017]

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こういう社会だったのだ。。。
当時の社会と歴史を振り返るのに、今の薄っぺらい常識とやらを振り回して判断するのではなく、こういう社会であったことにきちんと向き合わなければ何も見えて来ない。。。
きっと基本的には人々の精神構造は当時と変わらないのだという気がしてくる。。。
"日本会議"、極右的ナショナリストたちの人権無視、国民主権無視などの主張を聞いていると、そして政府が丸ごとそこに抱え込まれているにも関わらず、国民の今の状況をみる限りでは、こういうものを多かれ少なかれ受け入れる下地が国民にはある、ということなのだとしか思えないのだ。
それが積極的ではないにしろ、仕方ないという諦めにしろ。。。

それは"支配されることの安易さ"なのか!?
内省の不足=欠如が外部理解へも向かっているということだろう。
自己を理解しない者は他者を理解しようがないという事実だ。
それでいて、いざとなったら自己犠牲を手っ取り早く"社会の美徳"として掲げることで、内省的態度を無用のものと片づけてしまうような、根本的に"個"の自由と独立心を欠いた社会なのだ。

政治家たちからすれば、支配層と臣民という構造概念でしかない。

自己犠牲の美徳を思い出させるだけでいい。それは人々の性根に奥深く刻まれたDNAの成せる業なのか? 

 
例えば、服従主義についてこういう徴兵制を利用しようという人々が大勢いる。
 https://matome.naver.jp/odai/2133061857505698401 
 
そして歴史の承認と歴史を認めようとしない人々との闘いは拒絶されている。。。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170418-00000005-cnippou-kr&pos=1

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