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もう少しで米国に勝てるはずだった戦争?? [Argentina 2017]

 木曜日、4月末で職場を離れた(首になった)コックの送別会ということでアルゼンチン名物アサード(BBQ)をすることに。 とは言え、みんな仕事。。。そんな訳で夜中12時を過ぎてから食べ始めるというとんでもないパターン! わはは
だがしょっちゅうこんなことやっているのでみんな平気??(わたしも2度目の参加。)  
一人暮らしの同僚の自宅屋上ベランダで11-12名が集まってアサード♪
まあ、食事が終わってからもワインは止まらない。。。 そのうちどういう訳か話が日本のことに。。。

 突然、アルゼンチン人(35才)である同僚が、こんな風なことを口にしたのだ。。。

"日本は第二次世界大戦でもう少しでアメリカに勝てるところだった。アメリカは日本に負けそうになって原爆を落としたのだ"と。

 バカなっ!? これまでに耳にしたこともないぶったまげた説だったが、それを否定するわたしにもう一人のアルゼンチン人(25才)まで同調し始めた! なんとふたりでわたしに一生懸命、日本はアメリカに勝つ寸前だったというのだ。

 アホかっ、オマエらわ!?と思いつつも、日本がすでに敗戦を重ねていたこと、首都東京も大空襲を受けて焼け野原だったけれど、それでも敗戦を認めようとしない日本政府を挫く為、そしてドイツと先を競って開発に成功した原子爆弾を試す絶好の機会だったこと、当時の日本人には敗北より殉教を選ぶような精神風土が深く根付いていたこと(神風特攻)などを説明するが、もう頑固にまったく自説を曲げようとしない。

 "そうでなければアメリカが2発も日本に原子爆弾を投下するどんな理由もない"などと言い始める始末だった。  しかもその根拠として挙げたのはなんとパールハーバー奇襲だった。 彼らに言わせれば、パールハーバーが天下分け目の闘い、日本の勝利を決定づける戦闘だったと言うのだ! バカなっ!? もうわたしが呆気に取られてしまうくらいの珍説だった。

 だがいったいどういう訳で年齢も世代も異なるふたりのアルゼンチン人たちがそんな説を唱えるのだろう??  なにかそんな映画やドラマでもあったというのか?? それともアルゼンチンではそんなバカげた歴史観を教育しているとでも言うのか!? だが宣戦布告なき開戦であるパールハーバーを勝利の頂点だと主張するような説にはどんな根拠もなくただの風説でしかないだろう。アニメや漫画ですらそんな風に描くとは思えない。まあ、ふたりとも確かに教育のない連中だから、そんなデマを何処かで聞いて真に受けた訳だ。(彼らに訊いてもハッキリしない)ひょっとしたら日系移民の子孫のうちの誰かがそんなことを口にしたことがあるのかもしれない。

 けれど本当に驚くべきことは、こんな歴史的事実まで覆すほどに、日本に対するさまざまな神話が世界中に流布しているということだ。あらゆる分野で日本は好意的に神話化され、さまざまに誤解されている。 その上に胡坐をかく日本人旅行者や海外在住者も多いけれど、やはりそれではいけないのだ。
 まるですべての日本人が優秀あるかのような神話や日本ではほとんど犯罪がないかのような安全神話、日本人のホスピタリティに関する行き過ぎた神話もある。日本が寿司や野菜を中心とするヘルシーな食文化であるというものもあれば、日本の仏教や武道、侍魂、芸者、伝統に対するさまざまな誤解や神話がある。学校教育や給食文化に対する誤解も年々大きくなっているように思える。いまだに日本が経済大国であるという嘘も相変わらず跋扈している。それらをイチイチ否定するのは礼儀的に失礼だからという詭弁で聞き流す人も多いようだけれど、それは間違っている。それらを謙遜の美徳で程度で済ませようなんて虫が良すぎるというものだ。礼儀だと言うなら、誇張や勘違いによる日本の美点を誇る前に、滞在国の文化や人々の美点をこそ見出すべきなのだ。そして行き過ぎた褒め言葉には謙遜ではなく、きちんとした説明で応じるべきなのだ。そんなことも出来ない日本人は自らをこそ恥じるべきだ。もちろん、日本文化、日本社会にも美点はあるだろう、けれどまずもって日本人自身が自らの国の現実と向き合わなければならない。

 それに例えば、冒頭のようなバカげた話を聞かされた時に、あなたが相手に失礼だとばかりに、或いは何も知らないバカだと蔑んで、相手の話を否定もせずに、愛想笑いと共に、ただ聞き流しただけで、彼らの中では日本人であるあなたが彼らの主張を認めていたと解釈されるのだ。愚かで醜いのはどちらだという話だ。

 確かにラテンアメリカに住んでみて、彼らと一緒に働いてみて、先日も書いたように、彼らの問題点、彼らの学習能力の低さに辟易とさせられることはたくさんある。けれど、それは学校学習教育という意味では決してないと思われる。それはより文化的な教育、教養の浅さに依拠しているように思われる。たとえば衣食住から芸術・文学、情操教育と呼ばれる音楽・美術を含めての彼らの精神的文化教養の底浅さでもあるだろう。

 前回のblogでも書いたようにそれらすべてが彼らの責任ではない。一般庶民である彼らには高級レストランなんて手の届かないところにあって、調理師学校を出たところで食文化の経験値は如何ともしがたい訳だ、同じように、アルゼンチンやペルーを除いて他に書店文化の充実している国はほとんど見当たらないし、それらの国に於いても一般の貧しい人々に書籍を自由に買う金銭的余裕などあるはずもない。彼らは幼い頃から読書に親しむという経験が極めて限定されているのだ。そして初等教育では音楽や美術といった教育は非常に軽視されていて、すっかり欠如している場合も少なくない。さらにtv番組では日本のようなカルチャー番組はなく、Nacional GeogaraphicとHistory Channelくらいしかない。それらは日常生活とはある意味かけ離れたカルチャー番組でしかないし、その国独自の文化ではなく、米大陸、世界共通の番組だ。日本のようにもっと身近な生活知識や雑学・食文化の奥深さを知らず知らずのうちに学ばせてくれるような日常的な番組はほぼ存在しない。
 確かに我々日本人は中南米の人々に比べると、生活の知恵というようなものをたくさん抽斗に持っている。けれどそれらは決して学校教育で齎されたものではないし、親から子へ伝えられたものでもない(昔はそういう側面が強かったのかも知れないが)。その大部分を我々はtv番組の生活の知恵というような雑学トレンド紹介コーナーのあるような、よもやまな番組から得てきたのだ。

 一方で、日本においてもわたしが指摘するまでもなく、ほとんどの人々が読書をしなくなっているし、読書と言っても三文小説やファンタジー小説と呼ばれる、それで知性や教養が身に着くことは決してなさそうなものばかりが読まれているようだ。受験勉強の一方で、スマートフォン文化やゲーム・アニメ文化、アイドル文化という本来子供向けの文化であるべき諸文化の成人マーケットへの拡大拡充によって、美術・音楽的な古典から現代へと連なるような精神的遺産としての芸術的教養は見向きもされなくなって久しい。他方ポルノやエロ文化は低年齢化にブレーキは掛けられず、ファッションに於いてもトレンドや消費構造は成人向け市場と大して区別されなくなっていて、もはや大人文化と子供文化の間にはどんな境界線も見られないと言ってもいいのかも知れない。
 世界を見渡しても、映画と言えばもはやハリウッド映画とその二番煎じグループであり、スーパーヒーローやファンタジー映画、アニメーション映画など常に同じような映画が幅を利かせているばかりだ。それらも本来子供向けの文化であるべき諸文化の成人マーケットによる簒奪(拡大拡充)という図式にすっかり当て嵌めることが出来る。

 ラテンアメリカをあげつらうだけでなく、今の日本や世界全体に通じる人々の精神的文化教養にみる幼稚化はきっとその辺から来るのかも知れない。そう考えれば、所詮"一日の優位"であるに過ぎず、またそれらは日に日にその差を、高みではなく低みに於いて詰められつつあるのかも知れない。

 いつか日本人が第二次世界大戦に於いて日本軍は米国に勝利しつつあった所為で原爆を落とされたのだ、と主張するような日が来ないことを願うばかりだ。

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