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もうすぐ10周年、中南米放浪の旅(前半) [Argentina 2017]

 そんな訳でいよいよこの旅も5月21日で丸10年を迎える。

365日X10+2=3652日という期間。。。もちろん、一度たりとも日本には戻っていない。二度と戻らないと決めて出た旅だ。

45才のおっさんだったわたしは55才の爺となった。まさかこんな歳まで自分が生きているとは想像もしなかった。

白髪があったとは言え、まだ黒かった髪もヒゲもすっかり白くなり、老眼鏡が手放せなくなった。

コックか皿洗いでもするつもりだったが、気がつけば偉そうにシェフなんぞしている。わはははははははははははははははははははははは


 何度も書いてきたようにこの旅は長くても4年でイグアスの滝で終わるはずだった。一ヶ国3ヵ月程度というプランで行くと大体そんな感じだった訳だ。だが途中何度も所持金がゼロになり、とても3ヶ月毎に移動する訳にはいかなくなった。。。特にシェフとしての仕事を始めてから、予定はどんどん未定になっていった。。。わはははははははは


 で気が付いたらという言い方もどうかとは思うが、ちょうど10年経ってしまった。


 この10年間、何度も所持金ゼロに陥りながらもなんとか米大陸を縦断してカナダから(アメリカすっ飛ばしてキューバ経由で)アルゼンチンまで辿り着いた。いくら稼いでも結局は所持金ゼロに陥るわたしだ。今年の2月末にもゼロだったが、その翌日給料を頂いて生き延びたのは初告白か??(笑)仕方ない、日本では46年間、一度も貯金したことのない男だったから。。。わははははははははははははははは


 以前から何度か書いているように、もちろん、わたしは当初から中南米で働いて旅をするつもりだった。何だってする覚悟はあった(基本コックとして働き、なんなら皿洗いでもするか、屋台でもやるつもりだったし、肉体労働もしていいと思っていたけれど、カメラマンや広告デザイナーをすることはまったく考えてもいなかった)。2日くらい飯が食えなくたっていいという覚悟もあった。だからこの旅の為にわざわざ貯金なんてすることもせず、日本ではそれなりに稼いだ金をすべて使い切って(バブル経験世代で、もともと金遣いがめちゃくちゃ荒い。笑)僅か100万円ほどの現金を握りしめて旅に出たのだ。お金がある限り、働き始めないのは分かり切っていたからだ。(その程度には自分のことは知っている。苦笑)

 日本では偉そうに口八丁手八丁で仕事をしてきたわたしに、言葉も満足に通用しない国々で、誰一人見知らぬ人ばかりの国々で、いったいわたしに何ができるのか、わたしは何者であり得るのか、確かめたかったというのもある。


 あんまり偉そうなことは言えないけれど、海外放浪の旅なんてお金がないから出来ない...というのは簡単だが、そんなこと言ってたらいつまで経っても出来ないだろう。先に書いたように実際のところわたしが日本を出る時に持っていたのは僅か100万円ほどだったし(結論から言えば100万円は9ヶ月も持たなかった。笑)、おまけに日本を出る前にはハバナ大学の授業料が幾らかも知らず、調べもしなかったし、物価も家賃もなにもかも見当すらつかなかった。ハバナ大学の受講料、家賃に生活費に、Mexicoまでの航空券も何の情報も持ってなかった。今から考えると不思議だが、Cubaにはスペイン語の勉強にゆくだけだと決めてかかっていた所為で、"地球の歩き方"さえ、Mexico編と中米編しか持ってなかった。。。生まれて初めての海外旅行の癖に??どんな奴??。わはははははははははは

 Mexico国内を1ヶ月間旅をしてGuatemalaに到着した訳だが、それから先も、いったいどれくらいの旅費・宿泊費・食費などの生活費が掛かるのかを知る術はなかったし、そもそもが働くことを目的としていたので、そんなことは考えるだけ無駄だという気持ちだった。わはははははははははははははは


 話しを最初の国Cubaに戻して、もちろんCubaでの日々は日本での生活とはまったく違って食事さえちゃんと採れないこともあったけれど、ホントに当時は相当な覚悟があったのでまったく平気だったし、好き放題お金を使って、食べたいものを食べ、お酒に浸っていた日本での生活とは180℃異なるビンボーぶりを寧ろ楽しんでさえいた。 わははははははは

 おかげさまでCubaとMexicoでわたしは15kgほどのダイエットに成功した♪...もっとも今やすっかり日本の頃と同じ体重に戻っているのだが。。。わははははははははははははははははははははは

 そもそもこの旅はわたしにとっては生まれて初めての海外旅行なのだ。友人の結婚式でホノルルへ連れて行ってもらったことがあるけれど、それは切符もホテルもすべて手配してもらって、遠足よろしくただホントに一緒について行っただけだったから、とてもじゃないが自分で旅行したことがあるとは恥ずかしくて言えない。わはははは

 Guatemalaでは初めてコックとして働き、ほぼ同時に広告カメラマンとしても仕事を始めた。以降、El SalvadorとBoliviaを除いて訪れたすべての国で仕事をしてきた。Nicaraguaからは広告デザイナーの仕事にも新たに手を出す一方、レストランのオープニング・シェフを務めた。2010年6月、3年掛けてようやく南米コロンビアまで辿り着いたものの、それ以降はまた行ったり来たりを繰り返し2016年12月ようやくアルゼンチンまで辿り着くことが出来たというのが本当のところだ。(笑)想像だにしなかった長すぎる旅だ。。。
 

 もう何度も所持金ゼロを体験していて、すっかり慣れっこだったりもする。わははははははははは

 ありがたいことに、友人たちに助けられたこともあったけれど、いつも何かしら仕事はしている訳でなんとかなるし、なんとかするしかない。2週間くらい10ドルで生活したこともある(冷蔵庫の中や買い置きしてあったものを日割りですべて食べつくした)。わはははははははははははははははは

まあ、Panamaの最初の3ヵ月と初めてのMedellin滞在時の3ヵ月を除くと、幸いにもいつも何かしらの仕事はしているので、ほとんどの場合、次の収入までをどう過ごすかというのが問題だし(仕事のない時はいつも多少なり手持ちがあって)、不思議と必ず仕事を始めてから手持ちが尽きる。わはははは


 わたしのことはさて置いても、海外を放浪するなら働くのは当たり前のことだと思っている。昔から(現在でも)世界中の若者たちが皿洗いやバーなどで働きながら、或いはギター1本手に歌をうたったりしながら世界を旅してきたのだ。日本で貯金をして、それがなくなるまで...というのもモチロン否定はしないが、申し訳ないがそれを立派だとはどうにも思えないのだ。旅の途中、全財産を盗まれたり、貯金がなくなった時こそ、個人が試されるとは考えられないだろうか??自分を試してみたいという思いが、人々を外世界へと誘うんじゃないだろうか?せっかくそこまで辿り着いたら、せめてちょっとくらい足掻いてみてもいいんじゃないだろうか?

 貯金でする旅はやはりどれだけ長期間であっても観光旅行の域は出ないだろうし、寧ろせっかくのチャンスなのに何もしないのは勿体ないとさえ思える。もちろん、働くには少しくらい言葉が話せないと...というのは事実だ。けれどわたしがGuatemalaで働き始めた時はもうホントに酷いもんで、観光くらいはできても仕事ができるようなレベルではなかった。募集もしてなかったのに、いきなり店に飛び込んだわたしなんぞを雇ってくれた亡きCafecito2のオーナーには感謝しかない。(もしオーナーが生きていれば間違いなく去年逢いに訪れただろうに。。。とても残念だ。)

 仕事を探すのはいつも知らない町を毎日、毎日歩き倒して、片っ端から店を一軒、一軒尋ねて回るという手法(もちろん、大半は門前払い。笑)だ。ネットで...なんて言ってたら多分無理だろう。やっぱり顔を見せて、必要なら実際に一日でも試してもらって。。。ということが必要になるし、そうすればきっと何か見つかるはずだ。

 随分以前に"不法就労のススメ"というblogを書いたことがあるが、10年経っても、いや、10年経ったからこそ、本気で日本の若者たちがそういう旅を否定してしまう傾向があることを残念に思う。わたしは何も自慢したくってこんなことを書いている訳ではない。そうではなくて、寧ろ日本の若者たちに勧めたくて書いているのだ。社会が掲げる限界やルールを自分のモノとしてしまう必要はない。社会のルールは社会のモノであって個人のモノではない。社会なんぞ時代や大統領が変わるだけで、その限界もルールも常識さえもどんどん変わってゆく。そんな程度のモノでしかないのだ。社会にルールはあるし、ルールは必要だけれど、それはあなたのモノではないということだ。わははははははははははは
不法就労のススメ 2011年10月
続・不法就労のススメ 2013年6月
追記(続・不法就労のススメ) 2013年6月

 "そんなこと言ったって自分には何もできない..."と言うなら、それこそが根本的な問題なのだという他ない。それは旅資金以前の問題かも知れないし、そこをなんとかするべきなのだ。
 

 最初から思うように稼ぐのは難しいかも知れない。わたしにしたって、カメラマンの仕事では最初はひと仕事30ドルとか、50ドルが関の山だった。Guatemalaでコックを始めた時は日給10ドル(月8回で80ドル+チップでトータル100ドルほど)だったし、カメラマンと広告デザイナーの仕事を合わせても50ドル-100ドルだったりした。シェフとしても月500ドルから始まって、月750ドル、月1000ドルと少しずつ増えてきて、ここ数年は中南米のいずれの国であれ、最低月2000ドルを要求するまでになった。

 それでも当初は自分の能力なんかではなく、現地で出会う人々に助けられてきたのだ。彼らは最初からわたしの能力を買ってくれた訳ではなく、最初は好意から仕事を恵んでくれたに違いないのだ。変な日本人のオッサンが名刺片手にたどたどしいスペイン語で"わたしは広告カメラマン&広告デザイナーです。なにか必要はありませんか?"と訪ねてきたのを好奇心から話を聞いてくれたりした訳だ。そうでない人たちからは完全な門前払いを喰らう訳だ。半分くらいは入口でウエイトレスに"いらないっ!"と追い返されるのだ。わははははははははははははは

 名刺には"Por favor... mas despacio, mas claro en Español(スペイン語はもっとゆっくり、もっとハッキリとお願いします。)"と名前より遥かに大きな字で印刷してあった。ちゃんと目を通してくれたクライアントはもうそれだけで笑っている。おまけに英語で話し掛けるとわたしが"スペイン語の方がマシなんだ"と答える始末だ。わはははは

 さらに名刺には"Fotografo, Diseñador ... y Chef (カメラマン、デザイナー...そしてシェフ)"と肩書が小さく書いてある。これもちゃんと気づいてくれたクライアントは"シェフなのかい?何の料理を作れるんだい?"と訊いてくれる。

 そうやって少し話をすることができて初めて、彼らはわたしの持参したパソコンにある見本データを見てくれるのだ。実際パソコンデータそっちのけで、わたしが何をしてるのか質問攻めにしてくるクライアントも少なくない。けれどそういうクライアントはやはり決まってわたしに仕事を依頼してくれる。そういうケースではわたしの仕事の能力ではなく、わたし個人に対する興味から始まるのだ。

 だからこそ、その後クライアントと友達になることがある。今では数多くのクライアントと本当に友人として接して貰っている。

仕事というのは人間関係だ。この10年間、飲み屋で知り合った友人などただの一人もいない。すべての友人は仕事を通じて知り合った人たちだと言っても過言ではない。或いは友人の友人だ。他にはほんの少しのケースがあるだけだ。だからこそ友人とわたしの間には信頼関係がある。


 そういう中で、この10年間、わたしもまた学び、経験を積み、40代後半から(!!)中南米という環境に育てられてきたのだ。


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※ちなみに中南米の人々の生活費やわたしのフトコロ具合を想像しにくいと思うので、各国の大体の最低賃金を記しておく。


中米最低賃金 月150ドル ... おまけに最低賃金以下で働く人々がたくさん存在する。

コロンビア最低賃金 月250ドル 

エクアドル最低賃金 月366ドル ... 政府が毎年どんどん上げてゆくが、実態は追いつかないまま。最低賃金以下で働く人々がたくさん存在する。

ペルー最低賃金 月250ドル 

チリ最低賃金 月350ドル ... アルゼンチンに次いで物価は割高。

アルゼンチン最低賃金 月530ドル ... 但し、物価、住居費共に、ウルグアイと並び南米随一。


 もちろん、どこの国にも最低賃金以下で働く人々は存在するし、最低賃金の数倍~数十倍を稼ぐ人々だっている。

そもそも貧富の差が激しいので、平均所得には意味がない。但し、大半の一般庶民というのは最低賃金付近で生活していると思っていい。その割合は国にも由るが6割から8割だと考えていい。

 ※注:Ecuadorのように最低賃金が毎年どんどん上がるというのはバラマキ政策であるだけでなく、インフレの実態があるということだ。最低賃金を毎年上げるようなマネを続ければインフレを招くのは必須だし、インフレによってさらに最低賃金を上げる必要に迫られる。景気が上向きだから最低賃金を上げるというのではなく、単に貧困層へのバラマキ政策としてやるからこういうことになる訳だ。もともとコロンビア、エクアドル、ペルーは最低賃金250ドル前後で同一だったのに、原油価格の低迷で経済状況が芳しくないにも関わらず、支持層への見返りとばかり最低賃金を上げる政策で、インフレを悪化させたのだ。けれど最低賃金で働く人々はコレア大統領のおかげで自分たちの収入がここ数年で1.5倍になったと喜んでいたりする。生活は一向にラクにならないどころか、最低賃金以下で働く人々の数が増加しているにも関わらず、そこには気づかない。。。


 わたしの知る限りで一般のレストランのコック、シェフたちですら最低賃金の1.1倍 - 1.5倍程度だ。

どこの国でも最低賃金で家賃を支払いながら家族を養うなんてことは不可能だ。国にも依るがちゃんとした企業に勤める一般職の人たちで月1000ドルくらいからだと思う。(企業そのものが圧倒的に少ないので、大卒でしかもコネがいる。)もちろん、企業勤めで月1万ドル稼ぐ人たちだって存在する訳だが、それくらい極端に差があると思った方がいい。平均化されていない。コロンビア、エクアドルで☆☆☆一流ホテルのトップシェフが6000ドルから7000ドルくらいだと聞いたことがある。一方、例えば南米各国からチリやアルゼンチンに出稼ぎに来る人々はこの最低賃金に騙されてやってくるが、物価が高くて生活が苦しいのはどこでも大して変わらない。

 だからレストランのコックたちは大半が実家暮らしだし、配偶者と共働きだったりするのは当然だし、勤務地から離れた場所に住むことを余儀なくされるし、副業や仕事の掛け持ちをしたりする者もいる。ちなみに中南米では通勤費を負担してくれるような常識は存在しない。だから遠隔地に住むということはそれだけ交通費が嵩むということだ。取り分け交通費の高いチリやアルゼンチンではそれだけでも50ドル-70ドルにも及ぶ。だからわたしにはそういう人々が携帯電話スマートフォンなどをローンで買って、さらに毎月そこに数十ドルの通信費を費やしている現実が理解できないのだ。中南米の何処の国でも、今やどんな人も(わたし以外)スマートフォンを持っている。わははははははははははははは


 例えばわたしの場合、ホテル代や家賃を支払いつつ生活しようとすると大半の国々ではどんなに節約しても中米で月500ドルから月700ドル、南米だと800ドルは最低でも必要になる。ちょっと節約をゆるめたり、何か不意の支出があったりすると中米でもあっという間に月1000ドルは越えてしまうし、南米だとそれ以上だ。




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