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女性の社会進出に求められるもの。 [Argentina 2017]

世の中には女性であることのコンプレックスから、"男性のさらに上を行かなければ"という動機で、過激化する者がいる。

例えば、自民党女性議員のほとんどが男性以上の極右的発言を積極的に行おうとするのもその所為だと考えられる。都知事だって同様だ。
他方にはさらに自身の出自コンプレックス(国籍問題)を加重して右へ右へと旋回する民進党代表もいる。

だが女性の社会進出というのはそういうものではない。
決して"女性らしく"という意味ではなく、男性とは別の社会的生き物としての視点とビジョンの実現を目指す人々が求められている。

それは多くの人たちが勘違いしているような出産とか子育て、介護とかいう問題意識ではない。女性議員にそういう課題を掲げさせようとする試みには断固NOと言うべきだ。それは女性をそういう問題に閉じ込めようとする試みだ。
或いはそういうものを自身の公約として掲げる女性候補者がいたとしたら、そんな候補者は否定すべきだ。
それはスポーツ振興を掲げるプロレスラーやオリンピック選手とまったく同じ構図だ。(※ありていに言って中身がない)
それらが重要でないというのではない。だがそういうピンポイントの政策アイデアを自身の主要な公約に掲げるような女性候補者はその時点ですでに男性社会に呑み込まれている。いっそ操られていると言っていい。思うがままに動かされている可能性が非常に高いか、それしか知らないか、だ。

求められるのは国政、外交、財政などすべてに関する"男性とは異なる社会的生物としての"女性の視点とビジョン、そして行動力だ。

男性が目指すのと同じベクトルの、さらに上なんぞ誰も望んではいないのに、すでにある既存の男性社会に呑み込まれると、男性との競争という視点に捉われ、女性であることを見失い、女性というアイデンティティアイデンティティをかなぐり捨てて、さらに男性の上を行かなければという発想しか思い浮んで来なくなるのだろうか?

"男性社会に任せておいてはダメなのだ"という女性としての自負、自覚が求められている。
それが決して女らしさではないのは言うまでもない。
"女らしさ"なんぞどうでもいい。けれど女性としての視点だけはなくしてはならないはずなのだ。

社会進出を果たすことで、"男"になるなら、そんな"女"はいらない。

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