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移民救済。。。我々主義はそれを越えた人道主義を裁けるのか!? [Argentina 2017]

これは本当に興味深く、重要なニュースだから、注意深く読んでみて頂きたいと思う。(いや、まあ、好きにすりゃいいが。苦笑)

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移民を助けるのは罪か…密入国手伝った男性、仏で裁判開始  AFP=時事 1/5
 
【AFP=時事】移民を助けるのは善行かそれとも犯罪か──。フランス南部ニース(Nice)の裁判所で4日、アフリカ出身の移民たちの密入国を助け、住まいを与えた男性の裁判が始まった。欧州で移民や国境管理が政治問題化するなか、連帯の精神と法律の規定のどちらが優先されるべきか議論を呼んでいる。
 男性はイタリアとの国境近くでオリーブ農園を営むセドリック・エルー(Cedric Herrou)被告(37)。フランスの警察の目を盗んで国境から車で移民たちを運び、宿泊場所を提供してきた。地元ではちょっとした英雄だが、現在は罪に問われる身だ。
 地元ではエルー被告のほかに、2人が同じく移民を違法に助けたとして裁判が開かれている。これらの移民は頼りない船に乗って地中海(Mediterranean Sea)を横断し、欧州に渡って来た。エルー被告の農園は検問を逃れて密入国を試みる移民の絶好の通過ルートになっていたという。
 エルー被告は昨年10月、活動家仲間を率いてフランス国鉄(SNCF)所有の保養地を占拠し、使われていない別荘を移民たちに開放。だが3日後に警察が介入し、移民たちは簡易キャンプに移送され、自身は逮捕された。
 エルー被告は4日、法廷の席で「自分がこうした活動をしているのは助けを必要としている人たちがいるからです。これはしなければならないことなのです。(移民の)家族たちが苦しんでいるのです」と裁判官に訴えた。
 一方、検察側は執行猶予付き禁錮8月を求刑し、被告の車両の没収なども求めた。また、自分の行動を正当化するための「政治的な舞台」として裁判所を利用しているとエルー被告を非難した。
 エルー被告は開廷に先立ち、裁判所前に集まった数百人の支持者に「人々を助けるために法律を破らなければならないとしたら、そうしてしまおう!」と気勢を上げていた。
 裁判で有罪と認められれば、エルー被告は最高5年の禁錮刑を受ける可能性がある。判決は2月10日に言い渡される。


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 残念なことに、法的には男性は有罪を免れないだろう。
けれど彼を有罪にしてはならないのだ。
もちろん、それを検察側も知っている。だからこそ執行猶予付き8ヶ月の禁固刑を求刑するに留めたのだ。できれば容疑者にそれを容認して争わないで欲しいという密やかな願いを持って。。。

だが被告は無罪を主張するだろう。
法廷はとても微妙で重大な問題に直面する。

 これを有罪と判決を下すなら、世界はナチスに追われたユダヤ人難民を匿う、或いは亡命を手助けしたことを有罪とせねばならないということだ。シリア空爆を逃れ、テロリストや政府軍の爆撃と迫害を逃れてきた難民を匿うことを犯罪として禁じるなら、難民の亡命の手助けを犯罪として禁じるなら、ナチスがユダヤ人迫害を開始した時、ユダヤ人を密告した者が正義であり、ユダヤ人を匿い、亡命を手助けした者は有罪とされる他ないということだ。
 アフリカからの移民はケースが違う??
だったら本当にシリアからの難民なら逮捕されず、裁判に掛けられないのか??
いや、そんなことはない。このケースで法的に争われているのは、庇護された者たちが"難民であるか、移民であるか"ではないからだ。
法廷で争われるのは、政府が禁じている"不法入国者"を匿い、手助けするのは違法かどうかという問題だからだ。
不法入国者とはこの場合、シリアであろうとアフリカであろうと、正規の入国ビザと入国審査を受けていないすべての人々を示す。
共に着の身着のままであることも違いはない。ともに助けを必要としていることも違いはない。
経済難民であるとか、政治的難民であるとかは、ここで問われてはいないのだということをしつこいほど明確にしておく必要がある。

政府が認めていないから!?

政府は時として政策を誤る。それは当然あり得べき事態でもある。
法や条例は政府によって制定され、運用される。
だが法はそもそも人間の正義によって制定されたものであるはずだ。(少なくともこの21世紀に現存し、通用し得る法は。)

フランス政府はヴィシー政権下でユダヤ人狩りを行ったのではなかったのか?
ヴィシー政権を"我々の政府ではなかった"というのは、責任逃れに過ぎない。それは紛れもなく彼らの政権だった。フィリップ・ペタンは決してクーデターや占領軍によって指名された首相ではない。正規のフランス議会によって任命された首相だ。

いや、経済難民はあくまでも庇護の対象とはならない??

例えば、"ナチスによる迫害が収容所への強制送還が始まった時点からは難民救済は合法とされるべきだった"というのは誤りであるのは言うまでもない。
収容所への強制送還が始まる数ヶ月前に、政府発行の正規ビザを持たずに亡命を試みた人たちは同じように経済難民扱いされたのだ。
各国政府は彼らの受け入れを拒んだではないか。
その時点では誰しもその後起こったこと予想できなかったろう。だから彼らは経済難民扱いされたも同然だった。
政治的亡命であるとは認められなかったからだ。政治的亡命でないとすれば、それはただの不法移民扱いとなるしかない。

国境を越えて、豊かな国を目指すことを我々は禁じることができるのか!?
移動の自由を我々は禁じることができるのか!?

片やEU統合政策を推し進め、国境を取り払い、国民の移動の自由を掲げながら、もう一方では国境の壁を高くし、乗り越えてきた者を追い返すことを善しとする政策に普遍の真理があるのか!?

人種や国籍によって差別することを禁じる法律が、EUという自分たちの協定グループ内は移動は自由(権利として認める)だけれど、アフリカやアラブ、或いはシリアは自分たちの協定グループじゃないからダメだ(権利として認めない)というのは、どこまで法として普遍性を持ち得るのか!?

彼は不法移民の入国をビジネスとしてやった訳ではない。まさに人道的援助としてやって訳だ。
一方では、アフリカ諸国においても人道的援助を掲げる政府が、人道的援助を法廷で裁くことの正当性が問われる。
人道的援助の適法性を法廷で裁けるのかというテーゼだ。

国境を犯罪者から守る権利はある。
けれど犯罪者でないならば、国境はすべての人々に解放されてあるべきものだ。
そもそも国境などというものは、勝手に大国が戦争をして引いたものでしかない。
国境で人々を閉じ込めたのは過去のお世辞にも完全無欠とは言えない"ご立派な"政府だ。
そもそも人々が申請した入国を犯罪歴の有無に照らし合わせて直ちに認めるならば、彼らは不法入国などしない。
悪意や偏見があるとしか思えないような厳しい入国審査を課し、滞在許可を制限し、就労を拒否するからこういう問題が起きてくる訳だ。
すべての望む人に(犯罪歴がなければ)入国を許可し、必要な滞在を許可し、就労を遅滞なく許可して、納税を義務づけるなら、こういう問題はなくなる。そして犯罪を犯した者の滞在許可を取り上げ、再入国を拒否し、納税をしない者の就労許可を取り上げ、出自の国へ強制送還すべきなのだ。(費用の問題は残るが税収も上がる)

すべては我々主義の問題でもある。
我々主義はEUの成立によって拡大されたけれどそれが我々主義であることに於いて他方を拒否していることに変わりはない。
我々主義はそれを越えた人道主義を裁けるのか!?という問題だ。

判決次第ではこれは重大な先例となる可能性がある。

けれど現実はとても高い壁に阻まれている。
すべてを不問にして、現行法に照らして合法か違法かだけを争う裁判が予想されなくもないからだ。
(※不幸にして我が国日本なら間違いなくそうなる。)
英国のように非成典憲法なら先例に照らし合わせることでハードルは依然高いままだけれど、(万一の場合)その無罪判決効果はとても大きな意味を持つ。
フランス司法がどのような裁判を争い、また弁護側がどのような主張を繰り広げるのか、続報を注意して見守りたい。
またこれと同じような裁判が各国で争われることを期待するばかりだ。
どこかで風穴を開けなければならない。

18世紀から20世紀に成立した憲法概念が古いものであるのも一面の事実だ。
今、世界は再びナショナリズムの世界に舞い戻りつつある。
良識はどこからやってくるのか、古い"我々"から脱却し、新しい真に全人類的な"我々"の概念を手にすることは可能なのか。

だがその前にどうしても今一度、破壊的戦争を経験しなければ"我々"は学べないのではないかという疑念が暗く影を落とす。。。

これは法と人間の正義の闘いなのだ。
人間によって作られた法は、人間の正義を打ち負かすのかというテーゼだ。
我々主義によって支えられた法概念がそれを越えた人道主義を裁けるのか!?というテーゼなのだ。




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